88:ケジメ1

ルーカが魔眼を発動させ、宿屋の中から周辺を探索する。
探している人物は……ステップラビットの元主人、召喚術士の少年だ。
彼はレナたちと遭遇してからも、あまり遠くに移動せず、ひとつ手前の宿場町に宿をとって召喚獣のレベリングをしていた。相変わらず格上の相手ばかりを獲物に選ぶので、召喚獣は負けてばかりでほとんど成長していないようだが。
ルーカが少年を視つけてため息をついて、ステップラビットに声をかけた。

「少年を視つけたよ。ここからそう離れていない、林の入り口あたり。ちょうど、僕たちと貴方が出会った辺りにいる」

『……わかった。ありがと』

「どういたしまして」

ステップラビットはきりりと目元を引き締めた。
心臓がどくどくと早鐘を打っている。
しかしこの時のために鬼教官の特訓をこなしてきたのだ。少年の元に向かう、という選択を取り下げることはなかった。
ーーケジメをつけるために。
これまでの自分から変わり、望んだ未来を手に入れるために。
白いウサギはしっかりした足取りで、安全な宿屋の扉を抜けて、ルーカが指さした方に歩き出した。

レナたちも後を追う。お互いの間は少し離れていて、初見の者にはウサギとレナパーティが仲間だとは思われないだろう。
この距離は、現在のレナたちの心の距離そのものだ。

精度のいいウサギの耳がピンと立っている。背後を歩くレナたちの足音を拾っている。
それを自分への応援のように感じて、嬉しそうにほんのりと頬を赤く染めた。

***

木が並び立つ林の一角。とりわけ周囲から見つかりにくい場所で、新人冒険者の召喚術士(サモナー)の少年と召喚獣が休憩をとっていた。

先ほどまで格上の魔物相手にレベリングしていたので、召喚獣は傷付いている。
太い爪でザックリ切り裂かれた傷口からは魔力で作り上げた骨が覗いているが、肉の断面は白くのっぺりしていて血も流れておらず、生体の魔物が傷付いた時のようなグロテスクさはない。痛みに呻くこともなく、ただ無表情でその場から動かずおとなしく待機している。

召喚したての低レベルな召喚獣は、魔物を模した箱物みたいな存在だ。
個としての思考は存在しない。レベルが上がれば、獣らしい野生の思考が育つし、主人に懐いてみせることもあるが、果てしなく先の話。
召喚獣が苦しまないため、少年は魔物使いの時ほども罪悪感を感じずに、クラウドフォックスをほぼ限界まで痛めつけてしまっているのだった。

効率よく一気にレベリングしようとして、今回戦いを挑んだのはポイズンヤマネコの子ども。名前の通り牙と爪にささやかな毒が仕込まれている、好戦的なヤマネコである。
少年は茂みに隠れた状態で、小声で召喚獣のボディの強化を行い、クラウドフォックスだけを戦闘に向かわせた。
地面から少し浮かんで移動できるクラウドフォックスは、静かに奇襲を仕掛けてヤマネコの背を傷つけることに成功する。
少年はニヤリと笑ったが、その表情が持ったのはほんのつかの間。
すぐさま反撃され、足元を爪でズタズタに切り裂かれてしまった……。
少年は野生の魔物が動くような早さで、召喚獣に指示を出すことなどできない。フォックスは一方的に痛めつけられ、戦闘不能になり、あわてて魔法陣に戻した。
もし完全に核を壊されてしまったら、また面倒なモンスター・メイキングからやり直しになるのだ。

この後、少年は現場付近からこそこそ立ち去ろうとしたものの、ガサリと草音を響かせてしまい、ポイズンヤマネコにしばらく追いかけられることになった。
目くらましのフラッシュ・ボールを使いなんとか逃げ切れたのだが、スキル[飛散毒]によって毒を食らってしまった……。
苦〜い解毒薬を口にする少年は、盛大に顔をしかめており、機嫌が悪そうである。
再び出現させた傷付いた召喚獣を前にして、はあーーっと重い溜め息をついた。

「今回の経験値も、そんなには多くなかっただろうなぁ……ちッ。
強い魔物に一撃食らわせてトンズラ、あとで傷を修復して経験値を溜めるやり方は、ちまちま弱い魔物を倒していくよりもレベリングが短時間でいいから面倒がないんだけどさぁ。
お前、いつになったら進化するんだよ……!? 今回は俺も危なかったじゃん! なんかあったらどーしてくれるわけ」

ぶつぶつと自分勝手な愚痴を吐きながら、少年は召喚獣に手をかざした。

「スキル[モンスター・リカバリー]」

召喚術士の職業スキル。少年が魔力を込めたぶんだけ、召喚獣の傷がなめらかに塞がっていく。身体の表面にうっすら傷が残るくらいで、少年は魔力を込めるのをやめる。これくらいの傷なら運動能力に支障はないだろう、と判断した。
少年の職業レベルも上がっていないため、魔力に余裕がないのである。

魔法使い、召喚術士、魔物使いなど、術者本人の物理的戦闘力がなかなか上がらない職業の場合は、剣士や戦士など前衛職の者とパーティを組むのが一般的である。
魔法使い、召喚術士ならばパーティのサポート要員として快く受け入れてもらえる事が多い。
ぶっちぎりで不人気なのは、生体の魔物をずっと連れ歩かねばならず、術者がひとりきりで行う初回テイムがとても大変な魔物使いという職業なのだがこの際聞き流してやってほしい。

この少年は適正職業が召喚術士、魔物使い、|盾使い(ガードナー)といった変わり種のものばかりだった。
せっかくなので、少年の過去の話をしておこう。

ミレー大陸の小さな町で、幼馴染たちと冒険者ギルドを訪れた少年は、せめて召喚術士にしようという仲間の忠告に一切耳を貸さずに、レア職だからすごそう! という動機で魔物使いに就職してしまった。馬鹿野郎。
少年本人の戦闘力が低かったため、なかなか初めの魔物をテイムできず、精神的に荒れて乱暴な言動が目立つようになったことをきっかけに、早く冒険者ランクを上げたい仲間たちから見放されてしまった。

ひとりきりになった魔物使いの少年は、ジーニ大陸だったら魔物がもっとたくさんいるから、何かはテイムできるだろう! と短慮に考えて海を渡ったのである。
意地になっていたのだろう。いい加減にしろと頭を叩いてやりたい。

失礼。暴言がすぎた。
海を渡った先でも現実に打ちのめされた少年が、ようやくテイムできたのがあの白いステップラビット。
弱っていたところを助けて、戦闘することなく従魔契約できたため、とても幸運だと喜んでいた。
これからは、冒険者らしく生活していけると思ったのだ。薬草採取やお手伝いのみをこなしてつつましく生活するのは、立ち去った仲間たちから笑われているようで悔しかった。
ステップラビットを立派に育てあげて、いつか二人で見返してやる! と考えていた。

テイムしたてのステップラビットは単語でしか会話できず、思考が獣のままだったので、どのような生活を送ってきたのか少年は詳細を知ることができなかった。
ウサギのスキルを見て戦闘力に不安を感じたものの、主人の[鼓舞][従魔回復]スキルがあればなんとかなるだろう、と少年は算段をつけた。

そして、迎えた初戦。
相手はダンシンダック。踊りが得意なアヒルの魔物である。小川の近くで発見した。
この魔物もテイムできないだろうか……と少年は考えたが、ウサギが攻撃スキルを得て強くなることを優先させるべきと判断し、不意をついて倒そうと決める。

ウサギにそのように伝えると、恐る恐るというふうに小さく頷いた。
従魔が「勝てる」と判断した! と少年は喜んだが、主人の作戦に意見するだけの思考をウサギがまだ持っていなかっただけである。
不幸なすれ違いだった。

「ステップラビット。あの岩の陰に隠れて待機。ダックが後ろを向いた時に蹴りを入れるんだ。出来るな?
タイミングは俺が[伝令]スキルで指示を出す。行け!」

▽ステップラビットは 駆け出した!

少年が強めの口調で「行け!」と指示を出したため、ステップラビットはとっさに走ってしまった。
地を蹴る小さな足音が響いて、少年が顔を引きつらせる。

知能が育っていない魔物の育成はとても大変だ。地球のペットトレーニングを超高度にしたもの、と考えて頂きたい。
時間をかけて魔物としっかりコミュニケーションをとれば心も成長していくため、動物やそこらの魔物よりもはるかに賢くなり、戦術の理解・応用もできるようになる。
しかし初戦当時のウサギは、そのような柔軟な対応などまだまだ不可能であった。

なんとかダックに気付かれずにウサギは岩陰にたどり着き、少年はホッと安堵の息を漏らす。
心に不安が渦巻いていたが……目を逸らして気付かなかったことにして、獲物のダックを睨みつける。

▽ダンシンダックは 踊り続けている。

種族的に踊ることが好きな魔物なのだ。求愛行動する時に備えて、ダンスレッスンを欠かさない。愛を囁く時期になると、同じ鳥類がドン引きするほどアクロバットでド派手なダンスを披露するとか。
よって、あのダンスはなんらかの魔法効果がある踊りではないだろう。

少年は息をのんでダックを見つめている。ダックが岩陰に背を向けた瞬間、ウサギに「スキル[伝令]!今だッ! 襲いかかれ!」と指示をとばした。
ウサギはそれに応え、少し震えている足に力を込める。

▽岩陰から ステップラビットが 飛び出した!(ダック視点)
▽空中で身体をひねり…… 蹴りを放つ!

意外にも、ウサギは正確にダックを狙えている。
しかし、全体的にステータスが貧弱で蹴りスキルを得ていないため、ウサギの蹴りは威力がなくて遅かった。岩陰から飛び出るという慣れない奇襲方法のせいでスピードが出ていない。助走をつけて、草むらから飛び出したならもっと速い蹴りができていたはずだが。
結果は……

▽ダックは 蹴りをかわした!
▽反撃! ヒップアタック!
▽ウサギは 地面に転がった!

日々のダンスにより鍛えられたむっちりしたダックのお尻が、小柄なウサギを容赦なくふっ飛ばした。
視界が反転して混乱しているウサギに脚でぺちんぺちん! と蹴りを入れ、転がして、たまに強靭なクチバシでつつく。

このダックは雑食で、肉を食べる。
それを思い出した少年は、あわててウサギを回収して逃げ去った。
がむしゃらに鞭を振り回してダックを退け(数回ウサギにも鞭が当たった)火事場の馬鹿力により未だかつてない速度で走ったのである。
ダックは大したダメージを負ったわけでもなく、肉よりも魚が好きだったため少年らを追いかけては来なかった。
おそまつな逃亡姿を見て、ふんっと得意げに鼻を鳴らしてまたダンスレッスンを再開した。

……この時。
ダックに無様に弄ばれていたウサギを目にした少年は、この個体がとても弱いのだと確信した。
頭を抱えたが、小さな魔物を中心に戦闘を続けさせた。
レベルが上がれば、きっと強くなるだろうと期待していたのだ。

しかし何度戦闘を繰り返しても、自分の長所を活かせない作戦ばかり指示されたウサギは、負け続ける。
ネズミの魔物にすら噛みつかれて怯み、血を流す姿を目にして、少年は……ステップラビットをパートナーとして育てることをすでに諦めかけていた。

勝てない魔物の面倒を見続けなければならないストレス、魔物使いを迎え入れてくれるパーティがおらず一人きりで慣れない土地で日々を過ごす孤独感。後半はどこまでも自業自得なのだが。
少年の表情は、暗く曇っていく……。

頑張るから、と戦闘に負けるたびに繰り返すウサギの姿は、健気でもあったが、結果が伴わずに少年をイライラさせるだけだった。
ウサギは自発的にジャンプやステップなどの特訓を始めたが、魔物との戦闘で身体にダメージが残っていて、全力を出しきれず成果は思わしくない。動いた分だけお腹が空くのでまた食料が必要になる。
手持ち資金に余裕がない少年は「勝手にその辺の草を食べてろ」と命令した。ウサギは逆らわない。
口に合わない草を食べて口の周りをうっすら炎症させているウサギが見上げてくる目が、まるで主人を責めているように感じて、少年の胸がズンと重くなった。

そして……。
ささやかに残っていた良心の呵責に耐えられなくなった少年は、ついにウサギを手放すことにしたのだ。
毎日毎日、惨敗姿を見せられて、瞳で責められて、魔物使いなんて嫌なことばかり!
責められている、と感じたのは少年の主観ではあるが。ウサギの瞳には確かに「つらい」と無意識に訴えかけていた。少年は従魔のその叫びに耳を傾けようとはしなかった。

もう嫌だ! と逃げるように転職を決めた少年。
希望転職先は、なんと召喚術士。
仲間に後ろ指をさされて笑われている気がしたが、この場に少年の知り合いはいない。彼らに召喚術士を勧められた時には気が進まなかったのだから仕方ない! 今はなりたいんだ! と思考を切り替えて、むっすりした顔のままギルドカウンターに転職を申し出た。

ウサギはこの時、宿屋に待機させていた。
主人の雰囲気に何か異変を察したのか、ギルドについていきたいとしつこく主張したが[従順]スキルで黙らされてしまった。

晴れて召喚術士に転職し、少年が機嫌よく宿屋に戻ってくるとウサギがとても不安そうな顔で見上げてくる。
本能的に、主人との魂の契約が切れたことを感じ取っていた……。
その眼差しが、転職して高揚していた少年の気持ちを沈ませ、幼稚な心をまたギリギリと締め付ける。
少年はウサギを鋭く睨んだ。

「……お前はいらない。使えないステップラビット。どこへでも行っちまえ」

ウサギの赤い瞳が大きく見開かれる。
何事かを伝えようと口をぱくぱくさせていたが、現在のウサギの言葉は、主人ではない少年にはもう届かない。
足にすがりついたが、少年はウサギを抱えて外に連れ出し、原っぱに放り出して一切振り返ることはなかった。
早足で遠ざかっていく……。

このウサギが少年には触れられたのは、いつぶりだっただろうか。明確に思い出せないほど前のこと。
身体にわずかに残る他人の手のひらの熱に、ウサギは震えて、その場にうずくまってしまった。
原っぱを吹き抜ける風により熱が奪われて、身体が凍えるように冷たくなってきた頃……ウサギは立ち上がり、ふらふらと少年を探し始めた……。

この後、ウサギは少年につきまとって召喚獣をけしかけられ、運命的にレナたちに助けられることになる。
ここまでが、少年の魔物使いとしての過去の話。

現在、召喚術士になった少年は[モンスター・メイキング]でクラウドフォックスの身体の色を青く変えていた。
スタンダードカラーの白色だと、負け続けだった元従魔を時々思い出してしまうからだ。
縁起が悪いから嫌いな色だ、と誰に言うでもなく呟いた。
結局、どのような色だろうが、魔物に合った育て方をしていないのでクラウドフォックスは負け続けだが。
いっそ盾職(ガードナー)になるべきだったか……でも地味なんだよなぁ……とまたブツブツ一人きりで呟く少年。
1日のほとんどを会話ができないフォックスと共に過ごしているので、日に日に独り言が増えている。

少年は傷を修復したクラウドフォックスを再び魔法陣に戻そうか悩み、軽く身体に触れてみた。
体毛はひんやりとした霧で構成されているので、毛を撫でた気がまるでしない。手のひらがほのかに湿っている。相変わらず奇妙な感触である。ふん、と鼻息を吐き出した。

転職した少年は、結局のところ以前とほとんど変わらない生活を送っている。
召喚獣の惨敗でストレスを溜め、薬草採取などのみをこなし、孤独に苦しんでいるのだ。
召喚獣は少年を見つめないので、ほんの僅かにストレスは軽減されている。
寂しさに苛まれて、命令しないと反応を返してくれない召喚獣をただ隣に置いていることが多かった。

変わればいいものを、と呆れてしまうが、これまでの己を反省して生まれ変わるには、この少年は意地を張っていた期間が長すぎたのである。
冒険者デビューしてからそろそろ半年と少し経つ。
冒険者にとって一番貴重とも言えるその間の全ての経験が、自分自身のせいで無意味になったなどと、とうてい認められなかった。

ギルドカードを取り出し、クラウドフォックスのステータスを確認した少年はため息をつく。
レベル3。スキルはまだ取得していない。
主人の[造形強化]や[モンスター・メイキング]によりそれなりの攻撃力はあるのだが、[造形強化]は身体を作り変えるために少し時間がかかるし、造形を維持している間はずっと少量ずつ主人の魔力が必要になる。
[モンスター・メイキング]で骨を太くして防御力を上げていたのだが、先ほどヤマネコに切り裂かれた時に骨が傷付き、骨の強度が初期値に戻ってしまっていた。
召喚獣の身体の骨組みが傷ついた場合には、これまで主人が骨にコーティングしていた魔力を使い自動修復されるのである。
スキルを取得したら、少年があらかじめ召喚獣に魔力を込めておいてその魔力を消費させる、という使い方もできる。戦闘中に主人の魔力不足に悩まされる懸念が減る。
早く強くなってほしい、と少年は切実に口を震わせながら頭をがしがし掻いた。

ーーあのウサギを譲ってしまわなければ。経験値にしていたなら。と、少年がぼんやりと考えて、さすがに自分に苛立ったように眉をしかめた。その時。
ーー脇の草むらが、ガサリと動いた。

「っ!?」

魔物か!? と、少年はあわてて立ち上がる。
全く気配を感じなかった!
強敵かもしれない……と、緊張して額に嫌な汗を滲ませる。

少年が大きく動いたことで、膝を折っていた召喚獣も立ち上がった。
さすがにこれくらいの判断はできる。攻撃などは主人の指示がなければできないがか、必要最低限は魔物らしい本能で動くことが可能なのだ。
召喚獣を歩かせるためにいちいち右足、左足、などと指示しなければならないなら、面倒すぎて召喚術士に就職する者などいないだろう。

少年と召喚獣は、ずり……ずり……と数歩後ずさる。
かなり近くで草むらが揺れている。おそらく、隠れている者は少年たちの存在に気付いているだろう。様子をうかがっているのか?

こっそり逃げ出す、という選択は今更できそうもない。
少年の眉がいっそうきつく顰められる。

「ス、スキル[造形強化]……対象は、前脚2本!」

小声で召喚獣を強化した。
先ほど魔法で傷を治したので魔力の残りが心もとなかったが、強化なしで今、魔物に襲われたらマズイ!
少年は毒を浴びていた影響で身体がかなり気だるいし、召喚獣も細かな傷が残り、万全の状態ではないのだ。

頭の中で「えーと、体当たり、切り裂き……」などと少年は対策をぐるぐる考え始める。
思考を戦闘モードに切り替えようとしていた。
ゴクリと唾を飲み込む。

草の分け目から、白色がチラリと覗いた。
少年が目を見開く。
白い足取りが一歩、また一歩と近づいてくる。静かに現れたのは……

▽ステップラビットが 現れた!(少年視点)

「……はあ……?」

少年の口からなんとも間の抜けた声が漏れる。
いやいや、元従魔ではないかも……と思い直して表情を引き締め、鞭をぐっと握りこんだ。

少年がそう考え直したのは、目の前のウサギが見るからに健康そうにふっくらしており、毛ヅヤもピカピカだから。
まあ、スライムジェルと野菜食べ過ぎの影響である。今朝は気合いを入れるためにとドカ食いしたので、お腹が少しぽっこりしていた。

瞳は凛々しく、少年を理性的にじっ……と見つめている。そこに憎悪や執着などの薄暗い感情は浮かんでいなかった。
キレイなウサギだな、と少年は思う。
あの、砂で薄汚れて瘦せぎすで、卑屈な目をした元従魔とは大違いだと考え、自分はなんて巡り合わせが悪いのだろう、こんな魔物が従魔だったなら……! と苛立ちをあらわにした。

野性界にいるこ綺麗な魔物、というのは総じて、身づくろいするだけの余裕がある強者である。
少年の口内が渇(かわ)く。
ーーウサギは動かない。

「…………。な、なんだよ……」

話しかけられても、ウサギはなおも動かない。
少年は、逃げるという選択肢を考え始めた。瞳に希望がちらつく。
その時、ウサギの耳に少し切れ込みが入っていることに気付き、表情を驚愕に染めた。

「! ……うそだろ! お前、あのステップラビット? 」

目の前にいるのが元従魔であると気付いた少年。
ウサギは内心、忘れ去られていなかったことにホッと息を吐く。
共にいた思い出全てが忘れ去られてしまっていたら、やはり悲しい気持ちになる……お互いにとって辛い主従関係だったが、あの時間は、ウサギの生きた軌跡なのだ。
その時の苦しさと、ほんの少しのあたたかさを糧にして、ウサギは強くなり今ここにいる。

「……なんだ……そっか。お前、結局また捨てられたのか……」

少年が冷や汗を流しながらも、表情を歪めていやらしい笑みを作る。
ウサギと、レナたちを馬鹿にした言葉。

誰かを悪く言う事で、自分が最底辺ではなくなると思っているのだ。罪悪感、劣等感を誰かに押し付けているのだった。
これが、今の少年の生き方。

ウサギの瞳がスッと細められる。

少年は無謀にも「テイムしてみたら駄目駄目で、弱かったからいらないと言われたのか? あーんなご立派なこと言っといて……だっせぇヤツら!」と口にした。自分では暗い感情を止められなかった。

ウサギの背後の木の陰からこのやりとりを眺めていた保護者(レナ)たちが、ギリギリと歯を食いしばって怒りを堪えている。

(レナたちの)殺気を感じて背筋をゾクッとさせた少年は、あせった表情であたりをキョロキョロ見回した。
ウサギに限らず、いつ魔物が襲ってくるかも分からない時に、無防備で迂闊な行動である。
こんなに早く首を振っていたら、視界がブレて揺れる草むらなどの違和感などにも気付けない。少年は索敵スキルを取得していないだろうに。
ウサギはこっそりため息を吐いた。
堅実慎重なレナパーティなら、絶対にこんな対応はしないだろう。いや、あのパーティはかなり戦力がおかしいのだが。

調教師のギリギリを攻める猛特訓をこなし、野生の魔物との戦闘も経験して勝てるようになったウサギには、少年の人間として、冒険者としての甘さがはっきり理解できるようになっていた。
かつての自分を見ているようだ……と考えて苦笑する。

クラウドフォックスの身体に残る傷跡に気付いて、表情をきりりと引き締めた。
卑屈な弱小ウサギが成長した姿を見せることで、変われない元主人の心にも、何かが響けばいいな……と思った。

ワガママなケジメに付き合ってくれたレナパーティに感謝して。
ウサギが数歩、後ろに下がる。自分の長所を生かすための距離。

少年が怪訝そうに眉をひそめた。
元主人の頑なな態度に、怖気づいたのか? と考えてふんっと得意げに鼻息を漏らす。馬鹿野郎。

ステップラビットが後ろ脚で立ち上がり、くいくいっと手招きして相手を挑発する!
リリーから学んだ、正々堂々の脳筋勝負方法。
そんなウサギの仕草を見て、少年は愕然と顎を落とした。

「はあ? ……なんだよ。経験値になってやるって?
……ははっ、なかなか出来たヤツじゃないか!?
ちょうど、このクラウドフォックスのレベルがそろそろ上がりそうなんだよ。俺は今度こそ、タイミングに恵まれたなァ!
……いけ。クラウドフォックス!」

自分の自尊心を守るため、少年は追い立てられるように良心などかなぐり捨てて、ウサギを睨みつけた。召喚獣をけしかける。
ウサギが後ろ脚に力を込めた。

▽クラウドフォックスが 駆け出した!
▽ステップラビットが [駿足] で駆ける!

ーーその捻くれた性根、蹴り潰してやるッ!!

<漢女(オトメ)の誇りをかけた戦い、開幕でございますッ! レディー・ファイッ>

撮影モードで空中に控えたスマホが、レナパーティの脳内で高らかにゴングを鳴らした。

 

 

 

pixiv fanbox

 こちらにはイラストまとめ、創作裏話、ホームページ制作の記事を書いています。ぜひお楽しみいただけますように。
 100円ご支援いただけることは、書籍一冊買ってくださったのと同じ助けになります。
みなさまいつも応援ありがとうございます!