76:スチュアート邸・それぞれの旅立ち

夜のトイリアの街に漆黒の巨大蝶々がひそやかに影を落とす。
高級住宅街、スチュアート邸の真上に来ると、モスラは魔人族に変身した。
パトリシアが放り投げたロング丈バスローブをさっと纏って、相棒を抱えて屋敷の屋上に降り立つ。
風魔法[ウインド]を使用して落下の勢いを殺し、音もなく地に足をつける。
この間、パトリシアは目をつむっていた。モスラの着替えを見ないため、それと戦闘に巻き込まれたときの恐怖心が少し残っていたようだ。
意外と可愛いところがあるんですね、とからかったモスラの額をバチンと平手打ちするものの、石頭というか、全身を鍛えまくっている執事にダメージは入っていない。ひたすら楽しそうに微笑んでいる。
やってられっか、と呆れたように悪態をついたパトリシアは、館内扉に足を進めた。
追いついたモスラが静かに施錠(せじょう)を解き、扉を開ける。
そのまま地下に進み、堅牢安全なトラップ制御室に一日中こもっていたアリスと再会した。

かなり夜も更けているが、明日の商業会合は午後からなので少しは余裕がある。
三人はお屋敷の室内テラスでお茶を飲むことにした。
会話の内容はもちろん船での出来事についてだ。

「主人にお茶を淹れさせてしまうなんて。恐れ多いですね」

「いいの! 私がやりたいと思ったんだから、もてなされて。二人ともご苦労さま」

今回はアリスが紅茶を準備して、帰宅したばかりの二人の前にそっと置いてやる。
疲労回復効果がある優しい香りの魔(マ)スカットティー。
甘党執事のカップにはたっぷりのフラワーシロップが注がれる。
紅茶の風味をさらに引き立てる魔(マ)スカットの花びらを煮つめて作ったシロップは、カップにさらりと垂直に流れおちた。

「快く送り出して頂けたおかげで、楽しい再会となりました」

「本当にな。あーたーのしかったー。疲れたけど。ありがと、アリス。この紅茶、すっごくいい香りだな」

にこりとアリスが笑ったところで、皆でカップを傾ける。
じんわりと身体が内側から温まり、自然に顔がほころぶ。
黄緑色のとろりとしたお茶は口内に甘い後味を残した。

「ねえ、レナお姉ちゃんも従魔のみんなも元気だった? どこに行って、どんなお話をしたの?」

わくわく、とアリスが問いかける。
アリスは基本的にお屋敷にこもりがちで、会合もスチュアート邸に人を招く事が多いため、空の散歩や、レナたちの旅の様子を聞きたいのだろう。
モスラはもう一人の主人の年相応の表情を微笑ましそうに見つめた。

「そうですね。S級魔物エンペラー・クラーケンとの戦闘で勝利を収めた件、従魔の先輩たちが揃ってレアクラスチェンジしていた件、レナ様が実はごほんっ、だった件、新たな仲間とやらが某国の元王子だった件、預かったお土産品について。
どれから話しましょう?」

「重大発表ばかりだよね!? なにそのラインナップ!」

わくわくの表情が一気に驚愕に染まった。
まず海上に呼ばれたことを報告すると、旅は順調に進んでいるのね、とアリスが安心したように口にする。
そっと目を逸らした二人を見て、あっ順調なわけはなかったか……と、幼い顔にやや大人びた苦笑を浮かべた。

「やっぱりレナって感じだよなぁ……このトラブり具合。いっそ見事なもんだ」

「引き寄せますよねぇ」

「それに自分から頭突っ込んでってる部分もあるしな」

「おおいに」

パトリシアとモスラが同時に深く頷きあう。

「二人とも、なんだか一気に仲良くなった? 私も仲間に入れて欲しいなー。船でのお話、聞かせてくれるよね?」

「「もちろん」」

また執事二人が同じタイミングで頷いた。
厄介な情報が目白押しなので、幼女を巻き込むのは少々心苦しいが、アリスが詳細な説明を求めている以上、隠し事など不可能である。
腹に一物も二物も抱えた商人連中を相手に同等に渡り合っているアリスは、嘘や誤魔化しにとても敏感なのだ。
たとえモスラとパトリシアが情報を隠そうとしても、さりげなく誘導して、望んだ通りの発言を引き出してみせるだろう。
一緒に頭を悩ませてもらうとしよう。

いつ何時、厄介ごとに巻き込まれるか分からない友人たちをこれからもサポートするため、情報共有は大切なのである。

「では。まずは何からお話ししましょうか?」

改めてモスラが尋ねる。

「お土産品について」

にこっと可憐に微笑むアリスは、商人の顔をしていた。
赤の魔道具諸々の届け物はレナに大変喜ばれた、とのパトリシアの言葉を聞くと、誇らしそうに胸をはった。

***

胃もたれしそうなほど内容の濃い旅話を全て聞き終えたアリスは、目頭を押さえて天を仰ぐ。
一足早くこの気持ちを体験していたモスラとパトリシアは、黙ってただ生暖かい視線を送り、アリスの再起動を待った。
しばらくすると、薄暗闇に鮮やかな青色がゆっくりと浮かび上がる。アリスは青い瞳でまっすぐに二人を見て、一回瞬きをした。

「そうだ、レナお姉ちゃんにお手紙を書こうっと。8冊分くらい」

「今はやめてやれ。船内で女王様扱いされて精神ボロボロだったから。いたわってやって」

自らのお手紙が事典扱いされたと聞いたアリスは、あえて冊数でお説教の増量を表現した。
今回増えたお説教案件は、もちろんルーカの事と、レナが重大な悩みをこっそり抱え込んでいた事について。
異世界に呼ばれて不安だったなら、もっと自分たちを頼って欲しかった、と思ったのだ。
その気持ちを丁寧に丁寧に丁寧に手紙にしたためたら、それだけで4冊分は余裕そうである。

「私、まだ10歳だし、やっぱりレナお姉ちゃんから見たら力不足なのかな?
故郷のお話……相談しにくい事だって思うけど、それでも、情報を集めたりとか、少しは力になれた筈なのに。
思い出話をするための念話通信魔道具を見繕ったりも出来たのにー……頼って欲しかった……」

アリスのため息が重い。

「力不足はありえないだろ。レナは十分アリスを認めてるよ。
ただ、トイリアにいた頃のレナは、ラナシュで生きる道を探すのにいっぱいいっぱいだったから、そこまで考える余裕がなかったんじゃないか?
今は従魔たちもかなり強くなったし、元凶のガララージュレ王国から遠ざかってようやくゆとりが出来たんだろーと思うけどね。
でも納得できない気持ちもすごくよく分かる。
私は以前、レナに”一人で抱え込まないで、仲間に相談するだけでもラクになるから”って励まされた事があるんだ。
それなのに自分は悩みを内緒にしてるって、そりゃないぜ!って思ったよ。ちくしょー。
レナの、他人の気持ちを優先させて自分を後回しにするお人好しなところ、ちょっと重症だよなー」

場の空気がしんみりとなってしまった。

「レナ様は幼い頃に両親を亡くしているので、甘えたり、ワガママをあまり言えなかった影響なのかも……と、仲間に現状甘えまくってるルーカティアスが申しておりましたね。人を頼るのが苦手なようだ、と」

あまりいい流れではないな、と考えたモスラが軽い口調で話し始める。
ルーカの好感度は犠牲になったのだ。

「あんちきしょう。そういえば、勝手にレナの過去覗いてやがったらしいな。セクハラで訴えるぞ」

「ど、どういうことなの……その元王子様は、人の過去まで全部視ちゃうクセがあるの? 例の魔眼で?」

「だって覗き魔だから」

「レナ様の生い立ちがかなり特殊だから特例で過去を覗いたのかもしれませんけど。
さりげなく心の中を覗くことが出来るので、いろいろな人の過去を視ている可能性も否定しきれません。
本人の嗜好によるかと」

「ちょっと気持ち悪い……」

アリスがドン引きしている。そんな人と一緒に旅をしていても大丈夫なの?と視線で問いかけた。

パトリシアとモスラの言葉にはちょっぴり悪意がこもっていた。
運が悪すぎるルーカに同情はしているものの、レナがこの世界に召喚された事や、当時いたずらに追っ手を増やした事などに怒りを感じていたので、ほんのささやかなおしおきである。甘受(かんじゅ)して頂こう。
アリスがルーカを敵とみなす前にここらでフォローを入れよう。

「ちょっと意地悪な言い方をしてしまいました、すみません。
覗きの件はさておき。旅の仲間としては信用できる、と私は判断しました。
理由として、彼は誠実ですし、リリー先輩の判断通り善人で、戦闘力も申し分ないくらい優秀だからです。
王子として過ごした過去に不安要素はあるものの、彼の意思で悪事を働いていたわけでは無いですし、現在は正体を隠してジミーとして行動しています。
リリー先輩の強力な[幻覚]で姿を変えているので、早々変装が[看破]される心配もありません。
全員で寝室を共にしていた件については……まあ許容して良いと思います。
ルーカティアスはかなり重度の女性恐怖症なので、レナ様を異性として意識することはできませんし、夜に傍においても害は無いかと。オスとしてどうなのかとは思いますけど。
常識的に考えるとよろしくはないですが、彼を別室に一人きりで待機させたら多分死にますので、致し方ありません。
レナ様の予備バスローブを借りて使っていた事についてはお説教して、彼の寝巻き用にロング丈バスローブを提供してきました」

「…………問題大アリにしか思えないけど。同室かぁ。
ねえ、パトリシアお姉ちゃんも今の状況について、モスラと同じ意見なの?
それにしても死んじゃうかもって、元王子様はそんなに運が悪いの」

「そうだなー。うん、あそこまでついてない奴は見たことない。モスラと二人でいた時にはあいつの真上に壁掛け時計が落ちてきたらしいし。
んー、悪いやつではないから死なれちゃ夢見が悪くなるしな。仕方なく、私もモスラに賛成だ」

仕方なく、を強調したパトリシアはつんとそっぽを向いてしまった。

「そうなんだ。二人がそう判断したなら、もうその事について、私がレナお姉ちゃんにお小言を言うのはやめておくよ。判断を信じる。
相変わらず、すごく変わった人ばかりと親しくなるのね」

「それな」

「同意します」

「二人の事も含めて言ってるんだからね?」

アリスも含めて、見事なオマエモナーである。みんなでクスリと笑いあった。

淫魔のお宿♡のバスローブはモスラも愛用するほど着心地がいいので、さすがにその小さな幸福感を奪いはしなかった。

魔王国までの旅仲間と聞いているが、はたしてルーカはレナパーティから離れられるのだろうか……。
その事は本人たちが個別に悩んでいるようだったので、モスラとパトリシアはあえて話題に上げずに、そっと目を逸らしておいた。なるようにしかならないのだ。

もっと特殊な嗜好を持った者がパーティ内にいる件については、今必要な情報ではないので、わざわざアリスに告げなくてもいいだろうと判断した。
こっそり気を遣われたアリスは柔らかな曲線を描く顎に手を当てると、うーん、と思考しながら虚空(こくう)を見つめる。

「王子様の故郷はガララージュレ王国……か。
この世界で今一番、危険視されている国だよね。
闇職の優秀な人材を集めているようだし、今はかなり厳しく出国規制されているんだって。入国はまだ簡単だけど。
ガララージュレ王国に入国してから連絡が取れなくなった商人が数名いるって、商業界で噂になってる……。国内の様子が外に漏れることを防ぐためなのかな。
女王様おかかえの行商人はよく国を出入りしているみたい。今の女王様は、色んな地域のあらゆる美容品を集めてる、すっごく綺麗な女の子なんだって、その商人が広めてる。
この情報は積極的に広めたい情報……ってことになる? どんな思惑があるかは分からない。
あとは、国の戦闘員が近隣国の裏社会で暗躍して資金を稼いでるって話も聞いたよ。
カジノに現れたり、闇市場で魔道具を売買したり。その手の取引が得意な人物がガララージュレ王国についたってことになるよね。
小国が過剰な戦力と資金を集めだしたらかなり危険だよ……領土を拡げようと戦争を始める展開は、歴史上何度も繰り返されてきたんだから」

ガララージュレ王国について話しているうちに、アリスは思いつめてしまったようだ。
しょんぼり顔になって目を伏せて、魔(マ)スカットティーが半分ほど残ったカップを静かにソーサーに戻した。
難しい話は苦手だぜ、と後頭部をがしがし掻いたパトリシアが荒っぽく話しかける。

「ガララージュレ王国は確かになーんか気味の悪い国だけどさ、私たちがその事で気を揉んでても仕方ないって。アリス、顔上げな。
例の金色王子は祖国で死んだことになってるから、余計な縁は切れてるそうだし。レナたちに悪い影響があるわけではないよ。きっと大丈夫。
あんまり暗い顔をしてると、今度会った時にリリーの根暗撃退キックをくらっちまうぞ!」

「そ、そんなピンポイントな技があるの?」

「なかなか効くようですよ。ルーカティアスはリリー先輩に蹴られて沈んだ気持ちを持ち直してました」

「やっぱりその人、なんか気持ち悪い」

本人のいないところで散々である。
ルーカの威厳をデストロイした執事の発言によって、アリスの表情はようやく少し明るくなった。
カップを持ち上げると、魔(マ)スカットティーをぐいっと景気良くあおる。

「いい飲みっぷりだねェ」

「パトリシアお姉ちゃんの真似」

「おいこら。さすがに……もうちょっとはマシな飲み方してるだろ?」

全員のティーカップに紅茶のおかわりが注がれる。
少しだけ口を湿らせたアリスは気持ちを切り替えて、モスラを見つめた。

「エンペラー・クラーケンを倒したんだよね。お疲れさま。レベルアップした?」

「ええ。キリ良く、レベル20になりました。レナ様のギルドカードを拝見して、ステータスを書き写させて頂きました。こちらを」

モスラが流麗な文字が綴られた羊皮紙を取り出す。
パトリシアも自分のギルドカードを取り出して、アリスの前に置いた。

「モスラの背中に乗ったまま戦闘に巻き込まれたから、私までオマケでレベルアップしたっていうね。
エンペラー・クラーケン強かったもんな。モスラの圧勝だったけど。
なかなか私のも立派なステータスだし、そのうち冒険者にも復帰できるかも」

「パトリシアお姉ちゃんは今でも余裕で冒険者をこなせると思うよ?
お花屋さんが忙しくて時間がないだろうけど、客足がもう少し落ち着いたら、レナお姉ちゃんたちとクエストを受けるのもいいんじゃないかな。楽しそうだよね。
モスラは早く冒険者ギルドからサブカードが届くといいね。
今は主人のカードでステータスを確認しなくちゃいけないから、こうして離れていると不便だし」

「そうですね。自分のステータスがいつでも確認できるようになると助かります」

従属させた魔物と離れて過ごす魔物使いは少ないうえに、魔人族を従えているなど前例が無いので、急遽冒険者ギルドでモスラのサブカードを作ってもらっている最中だ。
アリスのコネを全力活用した。

アリスは羊皮紙とギルドカードを真剣に見つめる。

「名前:モスラ
種族:ギガントバタフライ♂、LV.20
適性:緑魔法[風]

体力:36
知力:32
素早さ:41
魔力:28
運:20

スキル:[吹き飛ばし]、[威圧]、[風斬]、[旋風つむじかぜ]、[風避け]、[風斬翅(カザキリバネ)]、[アイアンボディ]
ギフト:[大空の愛子]☆5
称号:魔人族、カリスマ、クラーケン・キラー」

ーーー
[風避け]……風、風魔法の影響を軽減、無効化する。範囲、継続時間は込めた魔力量による。

[風斬翅(カザキリバネ)]……パッシブスキル。翅の強度が増し、魔力を込めると刃物のように鋭利になり、切断することもできる。

[アイアンボディ]……パッシブスキル。インナーマッスルが鍛えられ、肉体が強靭になる。

・カリスマ……多くの人々を魅了した者に贈られる称号。セットすると、目には見えない薔薇色のオーラが現れ、周囲の注目を集める効果がある。

・クラーケン・キラー……クラーケン討伐の功労者に贈られる称号。
クラーケンとの戦闘時、体力・素早さ・知力2割増しの効果がある。

ーーー

「うわあ、強くなったねぇ!
執事業務が終わってから毎日ラチェリのラビリンスへ行って、ウルルちゃんと戦闘訓練してたもんね。
パトリシアお姉ちゃんと組手したり、モスラは本当に頑張り屋さんだなー。えらいえらい」

「ありがとうございます、アリス様。これからも精進致します」

レナオカンを真似て、アリスはモスラを褒めてやった。モスラはとても嬉しそうだ。
そしてパトリシアのステータスがこちら。

「ギルドカード:ランクG
名前:パトリシア・ネイチャー
職業:花職人 LV.17
装備:白シャツ、ズボン、エプロン、編み上げブーツ、Mバッグ
適性:青魔法[水]、黄魔法

体力:42(+5)
知力:25
素早さ:38
魔力:21
運:14

スキル:[品種改良]、[花鑑定]、[投擲(とうてき)]、[筋力補助]、[色彩眼]、[緑の手]、[騎乗]
ギフト:[剛腕]☆3
称号:少年、遺族、花屋店主」

ーーー
[筋力補助]……パッシブスキル。筋肉の動きをサポートするため、疲れが溜まりにくい。体力値+5

[色彩眼]……色の判別精度が増す。繰り返しスキルを使うと、色彩センスの向上も見込める。

[緑の手]……植物に触れると成長促進効果を与える事ができる。植物の鼓動を感じることができるため、変調に気付きやすい。

[騎乗]……馬などに乗る際、酔い軽減、バランス向上の効果がある。効果継続時間は込めた魔力量による。
ーーー

花職人となり、毎日重い土や鉢を運んでいたパトリシアはまた脳筋度が上がっていた。
[筋力補助]スキルは農業系生産職に携わっている者はだいたい取得するので、パトリシアが特例というわけではない。

「[騎乗]スキル。パトリシアお姉ちゃん、モスラを上手く乗りこなせるようになったんだね。ぜひ、これからも宅配よろしくお願いします」

「また空の散歩にお誘いしますよ」

「二人ともそのイヤラシイ笑顔やめろ下さい。……はあ、配達はたまにレナの所に行くくらいなら、いいぜ。モスラの誘いはお断りだッ」

「おや残念」

これからもアリスの選んだアイテムはモスラ・パトリシアによって届けられるようだ。
その度にトラブルに見舞われないか、少し心配である。
アリスはモスラをちょいちょいと手招きした。

「レナお姉ちゃんにもいっぱい褒めてもらったよね? 髪、綺麗にお手入れしてたかいがあったね」

「あまりその点を持ち出されると気恥ずかしいのですが……。
はい、たくさん褒めて頂きました。従魔契約の”主人の側を心地よく感じる”影響もあって、レナ様に撫でられるととても幸せな気持ちになります」

「そっか。じゃあ、もう私も貴方の髪を撫でてもいいかな?」

「え?」

モスラが珍しく驚いた顔になり、アリスはぷっ!と小さく吹き出す。

「さらさらツヤツヤの黒髪、触ってみたかったんだけど、一番最初はレナお姉ちゃんだからって順番待ちしてたの。私も優秀な従者を褒めたいんだけれど? いいかなぁ」

「そうでしたか……そのように思って頂けて光栄です。よろしくお願い致します」

音もなく席を立った黒髪紅眼の執事はほんのり頬を染めて微笑んで、幼い主人の側まで歩くと、うやうやしく跪(ひざまず)いた。
艶やかな黒髪に小さくて繊細な幼女の手のひらが触れる。

「大変よくできました!」

「ありがたき幸せ」

幸福オーラに包まれた空間を見せつけられたパトリシアの脳内にはとある言葉が浮かんだが、見て見ぬ振りをしておこう。
これを口に出してはいけないと、本能が警報を鳴らしている。
同時に、イタズラ心がうずうずと疼きだす。
言ってはいけない。口を閉じろ。絶対に言うなよ、絶対にだ……!

「このロリコン」

言ってしまった。
幸福空間にピシリと亀裂が入った。

「……いい度胸ですねパトリシア・ネイチャー。夜空の散歩、た の し み に、していて下さい。問答無用でかっ攫って差し上げます」

口元に柔らかな笑みを刻んだまま、横目で視線だけよこしたモスラの紅眼がギラギラと恐ろしい輝きを放っている。
アリスはこみ上げてくる笑いを堪えて口を引き結び、プルプル震えている。
誤魔化すように黒髪を撫でる速度を速めた。
パトリシアが顔を引きつらせる。

「げえっ、し、しまった!?」

「ロリコン。つまり幼い見た目の少女を好むように見えた、と。
私が特別好意を抱いているのはレナ様とアリス様に対してなので、レナ様も貴方から見てロリコンの対象になるということ。
親友にそんな風に思われていたなんて、おいたわしい……レナ様を慰めて差し上げなくては」

「わざわざ言うつもりなのかよ!やめろよ!
ちげーし、レナは……顔も体も、ちょっとだけ歳より、若く見えるだけだよ……」

「フォローが下手にも程があるでしょう。トドメを刺してどうするんですか。これは腹芸の教育が必要ですね……いや無理そうか。
ところでアリス様、パトリシアメイド化計画というものがございますが、関心は?」

「なにそれ詳しく」

「や、やめろおおおお!」

口はわざわいの元、とパトリシアは今回こそ心に刻んだ。手遅れである。

その後もパトリシアをからかいつつ、エンペラー・クラーケンの買い付けについて真剣に話し合って、スチュアート邸の住人は明け方近くに眠りについた。
明日からもまた忙しくなりそうだ。

***

港街グレンツェ・ジーニに一隻の船が辿り着いた。
ミレー大陸から数日の船旅を経てこの地にやってきた乗客たちは、船を降りるとまず生活用品を扱う商店に向かい、支度を整えてそれぞれの目的地へと旅立っていった。
船上でのお土産話を携えて。

とびきりスタイルのいい妖艶な美女が、はんなりと笑んだ口元を扇子で覆う。

「退屈な船旅になるとばかり思ってたのに、えらく愉快やったわあ。いい船を選んだもんや。
エンペラー・クラーケンとの戦闘なんてそうそう観戦できんし、小さな女王様も従魔さんたちもたいそう可愛らしかった。
ええと……たしか月の光を浴びて正義の味方に変身するんやっけ? ほんと、面白いもんやなぁ。
それに仲間の皆さんも、みんな美形で髪の艶が素晴らしくて。どうやったらあんなに綺麗な髪になるんやろ、聞いておけば良かった……。
美容にこだわるウチの姫さんも喜んで喰いついたやろうに。この話したら、なんで理由を聞かんかったん、ってお叱りを頂戴してしまうかなぁ。
まあええか。ずっと家に篭っとるんも退屈やろし、旅話として教えたろ。
うーん。あんまり他の乗客と関わろうとしてなかったから、女王様に声かけづらかったんよねぇ」

長々と独り言を呟いて、おかしそうにウフフと声を漏らすと、二股に分かれた赤い舌をチロリと覗かせる。

レナたちの髪ツヤを羨んでいるものの、この美女の腰まで届く黒髪もまた見事なものだ。
潮風で髪が傷むのを嫌ってか、髪の上には薄いショールを羽織り、花飾りのついたドレスハットを目深に被っている。
前を向いてくっと顎を上げると、帽子のつばの縁から黄緑色の切れ長の瞳が覗いた。瞳孔が縦ということは、魔人族か、魔物の血が濃い種族ということ。
しゃなりしゃなりと歩を進めて、優雅な立ち振る舞いで周囲の視線を集めながら、港街を去っていった。

目立つ雪色(フロスティ・ブルー)の髪の中年男性が、談笑するレナパーティを遠目に眺めている。
視線に気付かれないよう、また人目を惹きやすい容姿を隠すために、完璧に気配を消していた。

(とんでもない子達と乗り合わせちまったもんだな。何者かと思ったが、女王様か……ふむ。
称号ではなく、職業?しかし魔物使いらしいが。
故郷の”赤の伝説”を布教するために、時々正体を明かしつつ教祖自らが旅をしているのだったか。その変身の瞬間を目にした者の元には、幸運が訪れるとか。
……うむ、乗客たちが面白がって口々に創作話をするものだから、どうにもこんがらがってしまうな。彼女本人が説法した訳ではなかったし。
まあ、魔王国を目指しているなら、冒険者ギルドを訪れた際にきちんと事情を聞く機会があるだろう。
あのような力を持った者が、冒険者ギルドに所属していて良かった。野放しの悪人だったなら、たとえ船上だろうと俺が始末しなければならなかった。
確か、エリート淫魔ルルゥの推薦人、か……魔王様とどのように関わることになるのだろうか)

そこまで思考すると、ふっ、と鼻から小さく息を吐き出して静かに踵を返す。
顔に細かな傷跡がのこる歴戦の戦士といった風貌、鋭く細められた青の瞳は瞳孔が縦だ。
尖った犬歯で指先を小さく噛むと、とたんに手先・足先が雪色に染まり、獣の造形に変化する。

「スキル[駿足]」

雑踏にまぎれるほどの声でスキルを発動させると、足に魔力を込めて、気配を消したまま港街を駆け抜けていった。

鮮やかな緑色の髪の男性がふらりふらりと商店街の店をひやかしながら歩き、船で聞いたばかりの赤の伝説を楽しそうに口ずさむ。
ポロロン、と軽快にリュートをかき鳴らす。
彼は自由気ままな吟遊詩人。
容姿こそ普通で人目を引かないが、甘い響きの歌声はすっと皆の耳に入っていった。

「今宵、月が赤く染まっているのはどうして♪
赤の姫様が生まれたからさ♪
祝福せよー♪ おおせのままにー♪ 信者たちは歓喜の声を高らかに響かせる♪」

歌の内容は超適当である。
ライアン&オーウェン以上にフィーリングで生きているのだ。

「姫様のとっておきの呪文は♪
ルカサンモスサン・セ・イヴァ・イナスァイー♪
鞭をかまえて唱えると、闇に染まりし悪党たちが涙を流して跪く♪
成長して女王様となった彼女は、世界を旅する♪
自らを慕うしもべたちとともに♪
ラナシュから悪が滅びる、その日まで〜♪」

そのような重大な使命を背負わせないで頂きたい。幸運に運命にと厄介なものを背負いこみ、レナは必死で踏ん張っている状態なのだから。

吟遊詩人の歌は一節紡がれるごとに、その時々の気分で内容が変わっていく。
彼がジーニアレス大陸にやってきた目的は、各地の観光。
赤の女王様という基本設定だけ拝借した適当な歌物語が、今後、彼経由でジーニ中にばら撒かれることになる。

観衆たちからぱらぱらと拍手を受けた吟遊詩人は仰々しい仕草でー礼してみせると、またリュートを弾き歌い語りながら、落ち着きなくその場を後にした。

「じゃあ、またね」

「道中お気をつけて。寄り道せずきちんとご実家に帰って、ご両親と仲直りして下さいね」

レナとルーカが、双子エルフと別れの挨拶を交わしている。
暖かい言葉を贈られたライアン&オーウェンは照れくさそうに笑って頷いた。

船が港に着いたのは早朝だったため、睡眠が足りなかった従魔たちはレナの腕の中でお休み中。クーイズがゆりかご型になって、ミニハマルと蝶々リリーがそこに収まっている。

「ありがとね、ジミー、レナちゃん!うん、父様は怖いけどモス兄に比べたらなんてことないし、ちゃんと謝ってみる」

「エンペラー・クラーケンの切り身は家まで鮮度が持たないから、家族に食べさせられないのが残念だなー。ま、仕方ないね。
お土産話で勘弁してもらおうっと」

「赤の女王様と従魔が大活躍した話ね!ついでに俺たちのリトル・クラーケン狩りの話もしとこうか」

「うわ地味。エンペラー狩りと比べると超地味じゃん俺らの話。地味、地味、ジミーー!」

「なに?」

「「呼んでみただけだよー!あっははは!」」

「エルフの里で女王様のお話広めないで下さい。マトモな人達に偏見を持たれてしまう……!
ジミーさん、嬉しそうにしてないで二人を注意して欲しいです」

「やだなぁ、そんな俺たちがマトモじゃないみたいなー照れるー」

「もっと凄い個性を持ったエルフもいるからね? 幼なじみで、エリザベートっていう子がいるんだけど。激ヤバレベルの裁縫マニアなんだ。超美人だけどね!」

「も、もっと……!? お二人より、もっと激ヤバ……!?ご縁ができそうで怖いっ」

「「頑張れ」」

「そんなフラグいりません」

「ふくくっ……ふはっ、あははははは!」

「ジミーさん笑い抑えて、もう!」

相変わらず騒がしい。
初めての親友と離れる事になり、ルーカは寂しそうにしていたが、レナとの漫才のおかげで笑顔で見送りができそうである。

エルフの里に遊びにくる?と誘われたが、まず魔王国でブレスレットを調達するのが第一優先目的だ。
ルーカだけがオーライと旅立つとなると、道中で仲良くトラブルに巻き込まれる未来しかみえないのでお断りしておいた。
今回は予定が合わなかったが、また今後、訪れる機会はあるだろう。

『『達者でなぁ〜……』』

『ふたりの……旅路に、幸運あれ、なの……』

『むにゃ〜〜……スゥスゥ……』

従魔たちがもにょもにょと双子にエールを送っていたので、レナがその言葉を伝える。
双子は「ありがとう」と眠る子たちに声をかけて、バイバイと小さく手を振った。見えていないが、撫でると起こしてしまうかもと遠慮したようだ。

「「またね!」」

「「まったねーー!バイビー!」」

すちゃっ!と額の横でピースサインを作ってみせた双子の仕草に、自然にクスリと笑わされる。
二人は弓矢を補充するため武器屋に行くと告げて、レナパーティから遠ざかっていった。

レナたちはこのグレンツェ・ジーニ港で一泊してから、明日旅立つ予定である。
今日は港を見てまわり、支度を整える。
お宿♡で広いお風呂に入りたいし、洗濯もしたい。船内の洗濯魔道具は数が限られているので、船旅の間に一度しか使うことができなかったのだ。
魔王国楽しみだね、そうですね、と明るい声で会話しながら、まずは美味しい食材を買い込むべく、商店街へと足取り軽く歩いて行った。

▽Next! その頃、ガララージュレ王国

 

 

 

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