61:悪党への制裁

 

 

夜も近くなったラチェリの森の奥深くには、大木に背を預けて荒く息を吐くひとりの青年がいた。
真っ暗のローブのフードを目深に被っており、短く整えられた深緑の髪と端正な顔立ちは隠されている。

片膝を抱えてそこに頭を預けると、少し体勢をかたむけて、熱に焦がされた手のひらをまじまじと眺める。
ジリジリひりつく痛みがなんとも心地よく、このように痛みを好ましく感じているのはなぜだろう?と思考し…口端を吊り上げた。
頭の中に鮮烈な赤色がチラリと過ぎった。

今日は楽しい発見がたくさんあった。
これから己の知識欲を存分に満たすであろう対象も見つかったし、実に有意義な時間を過ごせたな、と考えていったん漆黒の瞳を閉じる。

このなんとも変わった青年はまぎれもなく、ラチェリ近郊に呪いをばら撒きまくっていた呪術師イヴァンである。
乙女の宿り木のある広場から短距離転移して逃げだしたあと、追っ手を警戒してさらに森の奥に歩を進めていたのだ。

広場のレナたちの声を緑魔法”ウインド”で拾いたいところだったが、逃亡途中は魔力節約のためさすがに自重していた。
いったん腰を落ち着けたところで再度声を拾うことを試みるも、この場から広場までは距離がありすぎてうまく望んだ音が拾えない。
イヴァンは残念そうに膝に額をすり付け、数回瞬きをする。

きっと今頃広場では、自分が「なぜ」と考えた様々な出来事の種明かしがされているのだろうな…と、そちらの方角を羨ましそうな眼差しで見つめた。
そして、まあそのうち[赤の女王様]を攫ってきて話させればいいか、と自己完結してひとり頷く。
長くひとりきりで旅をしていたイヴァンは、独り言やら余計な動作やらがやたら多い。
それにしても、どこまでも知識欲に正直で自分勝手な人間である。知ってた。

手袋を取り去って再度確認した手のひらは、黒ずんでこそいないものの、熱のせいで皮膚が少し引き攣れ赤くなっている。
指先は手のひらよりもさらに赤い。
イヴァンは再び、楽しい思考の沼に浸りはじめた。

しばらくのんびりと休憩していたのだが…座り込むヒト族を獲物だと思いこんだあわれな鷹の魔物が、鋭く滑空してくる。
このような危ない雰囲気をまとった実力者を獲物だと見誤る魔物など珍しいが、たまたま、おつむの弱い個体に遭遇してしまったようだ。
鷹の敵意を抜け目なく察知したイヴァンは自然な動作でゆっくりと立ち上がる。
そしてマジック・ロッドをひと振り。

▽鷹魔物の スライダーアタック!
▽イヴァンの ロッドスイング!

ゴォォンッ!と鈍い音が響いて、鷹の魔物は力ずくで打ち落とされてしまった。
瞬殺である。
イヴァンの一撃は、規格外な身体能力を存分に生かしたただの暴力。
思考を邪魔されて機嫌をそこねていたため、一切の容赦なく、鷹の頭を正面からグシャッと潰していた。
血塗れになった高級魔道具がかなりあわれで、哀愁をさそう…。

焼き鳥だな。と、食事のメニューを決めて、さっさと解体を始めるイヴァン。
思いの外長く休憩していたようで、夜が近くなってきていた。
瞳を閉じて集中していたため気づかなかったようだ。
頑丈な翼は切り離して、その辺にポイ。この程度の魔物の素材など、イヴァンにとっては何の価値もない。
食べられる部分の多い胴体の肉のみをさくさくと切り分けていく。
皮剥ぎ、血抜きもお手の物。
旅用のちょっとした魔道具を上手に使いつつ、まるで肉屋で売られている商品のように綺麗な肉の塊を作ってみせた。
血は給水魔道具の水で洗い流し、脂は緑魔法[クリーン]で消し去る。

すべての作業を終えると、周囲はもうかなり暗くなっていた…
この状況で火を使うのはさすがに良くないか、と考え、今すぐに肉を焼き始めることは諦める。
空腹ではあったが、簡単な闇結界をつくり、闇に紛れたイヴァンは静かに眠りについた。

***

翌朝。
イヴァンは火をおこして新鮮な鳥肉を炙ると、黄金の鳥油がにじむこんがり焼き色の付いた塊に肉用ブルーベリー・ソースをかける。
食事を始めようと、皿とフォークを取り出した。
熱い湯気、芳醇な香りが鼻をくすぐり、食欲をこれでもかとあおっていく。
ブルーベリー・ソースは、店売り品の中でもかなり高い贅沢品を惜しみなく使ってみた。
ふと思いたって、仕上げに白胡椒を一つまみ振りかけ…
満足のいく出来に仕上がったようだ。うむ、と頷く。

組み合わせ次第で味の変わる料理に対してもイヴァンは多少の関心を持っていたため、手持ちの調味料は充実している。
口を大きく開けて、フォークに突き刺したグリルホークをついに口元に持っていったーーその時。

懐からリリリッ!リリリッ!と小さなベルの音が鳴り始め、そちらに意識を持っていかれてしまう。
なんて嫌なタイミングなんだ…!と、眉根を寄せて小さくため息を吐き、ローブの内ポケットから桃色のカードを取り出した。
そこに書かれていた人名を確認して……食事を優先させた。

がぶっ!と肉にかじり付くと、歯の隙間をアツアツの肉汁が満たしていく。
さっぱりした魔物肉と甘酸っぱいブルーベリー・ソースの味の相性が絶妙で、ピリリとした胡椒の風味を舌先で感じ、己の味付けセンスを内心でこっそりと褒めた。
一人で食べきるにはだいぶ量の多いグリルホークをぺろりと完食してしまう。

余裕をもってのんびりと食事を終えると、皿を片付けてからようやくカードに手を伸ばした。
同じポケットにしまっていたギルドカードも共に取り出してしまい、そこに赤く表示されていたメッセージをふと見つけて目を見張る。
“これ”についての思考を始めたいところだったが…相変わらずベルの音が鳴り続けていたので、仕方なくそちらを優先させる。
カードにほんの少しの魔力を込めた。

「<コール・オン>…どうした、何用か?」

カードからは若干イライラした様子の、中年男性の声が響いてきた。

『…お久しぶりです、イヴァン・コルダニヤ。
開口一番にもかかわらず、なんとも愛想のない挨拶ですねー?
…まあ、それくらいあっさりしてる方が今の私にとっては心地いいくらいですけど。はははっ』

「用件がないのなら切るが?」

『ちょっ……せっかちですね!?
わざわざカードを使ってまで貴方に連絡をして、用件がないわけないでしょう…
もう少し長い目でみて下さいよ。
先ほどは長く呼び鈴を鳴らしてしまってすみませんでした。
仕事中でしたか』

「いや。食事を楽しんでいた」

『私の謝罪を返してください。
貴方はいつもそうだ!
……ま、まあ、いいです。確かに、余計な世間話をしている暇はありませんしね』

なにやら男性はかなり情緒不安定である。
イヴァンが無意識におちょくっているせいでもあるだろう。

この桃色の魔法カードは、ひとつ4000リルもするなかなかの高級品。
一度きりしか使えない消耗品だが、長距離通信ができるとても便利な<ファーストベル・カード>。
名刺サイズのカードの両端にそれぞれの名前を記載し、魔力を込め、真ん中で切る。
相手の名前のカードを持っていれば、一度だけベルを鳴らし20分ほど話すことが可能なのだ。
どちらか片方がベルを鳴らしてしまったら、時間経過後にカードは消滅してしまう。
そのことでトラブルが起きないよう、カードは一度に2枚分をまとめて交換し、それぞれが一度ずつ連絡を取れるよう配慮するのが常識となっている。

イヴァンが手にしたカードには、”モレック・ブラッドフォード”の名前が記載されていた。
以前転職した際に、このくせ者の破戒僧と知り合っていたのだ。
変わり者同士だが、あまり気は合わないらしい。
しかし、裏社会権力者のお抱えでない破戒僧は珍しいため、また再度転職する時のためにとイヴァンは彼とベルカードを交換していた。
お抱えの破戒僧と関わってしまうと、その者の所属機関にイヴァンの規格外なステータスが知られて取り込みを図られる可能性があるため、面倒を嫌ったのである。

貴重な通話時間をムダにしないように、とモレックは早口で要件を告げる。

『実は私、とある国の聖職官長に就任しまして。
そちらのトップが、貴重な闇職の者を探しているんですよ。
“死霊術師(ネクロマンサー)”…たしか、貴方の適性職業にありましたよね。
転職、しませんか?
そろそろ現在の職にも飽きてきた頃でしょう』

【死霊術師(ネクロマンサー)】…死体に様々な追加効果を施し、自在に操ることが出来る闇のレア職。
死霊術師(ネクロマンサー)の中でもとくに才能がある者は、死して間もない死体の場合に限り、魂を呼び戻すこともできる。

イヴァンは定期的に転職を繰り返していた。
それは、様々な職に対する知的好奇心を満たすためだ。

「ふむ。それが用件か?
…確かに、もう呪術師の職業に思い入れはないな。
一通りの初期呪いスキルは試したし、これ以上のスキルを得るとなると何年分もの熟練度が必要になってくる。
ゆえに、もういい。
そろそろ転職しようかと考えていたところだ」

『おお、そうでしたか!』

カードからは弾んだ喜びの声が聞こえてきた。
しかしイヴァンはすぐに釘を刺す。
裏社会の者と関わる時には、ぼかされている詳細な情報を明確にしておかなくては自分にとって損な契約を結ぶことになる。

「俺が欲しいというなら、すべて正直に話してもらおう。
お前が仕えることになったのはどの国だ?
死霊術師(ネクロマンサー)を望んだ理由とは?
俺もその国に仕えることになるのか。その場合、どれ程の縛りがある?
情報開示がまるで足りていない」

『もちろん、説明しようと思っていましたよ。
周囲に他人は?』

「いない。今は森の奥深くに一人でいる」

『なぜそんな所に…いや別に、いいですけど。
順番に話していきましょう』

機嫌をよくしたらしいモレックは、少しトーンが高くなった声で朗々と話す。
イヴァンは岩の上に腰掛けて魔物を適当に索敵しつつ、じっと声に耳をかたむけた。

『まず、私が仕えることになったのはガララージュレ王国です。
最近、政府人員の大幅改変がありましたね?
その時に聖職官長に抜擢されました。
ガララージュレ王国女王シェラトニカ様が、死霊術師(ネクロマンサー)をお望みなのです』

「ふむ。女王様」

パチリと瞬きするイヴァン。
今一番トレンディーな話題である。

『とてもお美しいお方ですよー?
目も眩むほどの美貌をお持ちの、どの国の女性よりも素晴らしぃー女王様なのです!
…しかし、あなたもやっぱり男子なんですねぇ。
そこに反応するとは、ちょっと予想外でした』

「なぜヤケになったような口調なのだ…?
他人の容姿などどうでもいい。
ただ、女王様という所に関心を持った」

『重鎮なりの苦労というものがありましてね…はぁ。
女王様気質の女性が好みだと?うわぁどうでもいい…』

「話せば長くなる」

『聞きたくないです。
っとと…また脱線してしまいましたね。
女王様が死霊術師(ネクロマンサー)を望んだ理由ですが』

…そこまで言うと、モレックは一瞬だけためらう。
レナの情報がガララージュレ王国に再び流れることは、運良く防がれたようだ。
ため息をついて、モレックは渋い声で話を続けた。

『…美しくなるため、ですって!
死霊術師(ネクロマンサー)と”死亡したシェラトニカ様を蘇らせ、容姿を要望通りに整える”という契約を結びたいそうですよ。
…最近の若い子の発想には驚かされますねぇー……。
まったく。シェラトニカ様は今でも絶世の美貌をお持ちですのにぃーーっ!
……ふぅ。
実は、クセの強い高価な美容品をたくさん併用したせいで、女王様のうっとりするほどなめらかな白い肌は赤く腫れてしまっているのです。
これまた高価な治癒を浴びるように施していますが、ほんの少し肌にシミが残ったり、腫れが再発したりと、どうにも現状に納得がいかないらしく。
その不満を解消したいと、死霊術師(ネクロマンサー)を望まれました。それも、魂を呼び戻すほどの力を持った才能ある者を。
貴方ならきっととびきり優秀な死霊術師(ネクロマンサー)になれるでしょうね。
えーと…ついでに鼻を少し高くしたり、まつ毛を伸ばしたりもしたいとも呟いていましたね?
つまり、頼みたいのは、ガララージュレ王国女王の美しさの管理です』

モレックは話の所々でかなり投げやりに、シェラトニカの美しさを褒めちぎる。
『ケッ』と副音声が聞こえてきそうだ。
随分うんざりしているようだが…なぜ、そこまでして賞賛しているのか?

実はシェラトニカは、部下が女王の悪評と賞賛を口にした場合のみ、それを察知する魔法を常用していた。
彼女のご機嫌とりのために、モレックは常日頃から”褒める”努力をしていた…という訳である。
同じ褒め言葉ばかりが続くと機嫌が悪くなるので、読みたくもない少女小説を読んで語彙を増やしたりとかなり頑張っていた。
ちなみに、気持ちがまったくこもっていないモレックの褒め言葉はシェラトニカには不評である。

「まるで食指が動かない仕事内容なのだが?」

イヴァンは無表情で淡々と答えた。
ええそうでしょうとも、その気持ち存分に分かりますぅー!と言いたいところをこらえて、モレックは根気よく勧誘を続けていく。

『まぁそう言わずに。
美しい美しい女王様の指令以外には従わなくていい、自由にしていていいと破格の条件を頂いているんです。
それでいて給金は官長並み。
望めばどんな役職にも就けるよう配慮をするが、強要はしない。
豪華な衣食住完備…と、なんとも至れり尽くせり!羨ましいですね!
どうですか?
シェラトニカ様は今のところ、貴方に美しさ管理以外の指令を出すつもりはないようですし。
しばらくは死霊術師(ネクロマンサー)としてのレベル上げだけしていればいいでしょう。
他に貴方が関心を示しそうなところだと…ガララージュレ王国は珍しい魔法実験がかなり盛んに行われていまして。
研究狂いの学者たちが書き上げた暗号まみれの幻の論文が、たっくさん読み解かれているんです。
なんでも、他人の思考の痕跡を視ることができる人材がいたとか。
そういうの、好きですよね?
外に漏れないよう厳重管理されている情報ですが、貴方がこちら側に付くなら、シェラトニカ様も特別に実験見学許可を出して下さるはずですよ』

「ふむ…。
悪くはないな。それはなかなか興味深い。
厳重管理されている情報を、今俺に漏らしても良かったのか」

『これを言わなければ貴方は来ないでしょう。
逆に、言えばこちらに来ると考えています。
…でも、あまり食いつきが良くないですね』

モレックが渋い声で問うと、イヴァンはとても満足そうに返答する。

「現在は、それ以上に知識欲を刺激する対象があるのだ。
女王様という存在が気になって仕方がない」

『…げえっ…ガチな性癖ですかー!?
…うーん、手を出されては困りますが、こちらにも女王様はいますよ?
会うだけ会ってみたらどうでしょう』

「俺の知識欲を満たすほどの珍しい技能をもった女王様だろうか?
…確かに、会ってみなければ分からないか。
分かった。行こう」

『人生で初めて貴方に感謝しています!
ありがとうございます』

レア闇職である死霊術師(ネクロマンサー)があまりにも見つからず、シェラトニカの機嫌がずっと最悪だったために美容魔道具の相談役もこなしていたモレックはもう疲れ切っていた。
本当なら「周囲の人間すべてを不幸にする天然人間爆弾」であるイヴァンを懐に入れることは避けたかったはずだが…ようやく人探しから解放されるー!と、今ばかりは思いきり喜んでいる。
いそいそと予定を組み始める。

『シェラトニカ様は一刻も早い到着をお望みです。
[トライ・ワープ]を多用したとして、いつ頃ガララージュレ王国に着けそうですか?』

「昨日、魔力をほぼ使い切ってしまった。
余力がないため”身がわりドール”を使う。
そのため、すぐそちらにたどり着ける」

『…なんですって?』

「身がわりドール。以前、お前に渡しておいただろう?」

『…確かに、貴方の身がわりドールは現在も私が預かっていますけど…。
えっ。そんなに貴重なものを、ただ移動のためだけに使っちゃうんですか?マジで…?』

「使いどころを誤れば高級な魔道具とてガラクタになる、とはお前の言葉だったはずだが。
どうせこの場からは早く立ち去る必要があったのだ。丁度いい。
久しぶりにいい巡り会わせだ」

『……はぁ、そうですか。
…まあこちらとしては早い到着は有り難いですし、貴方の魔道具の使い道にまで指図はしませんけど。
では、シェラトニカ様には死霊術師(ネクロマンサー)候補のイヴァンがすぐ訪れるとお伝えしておきます。
さすがに通話を切った直後に来られると連絡もできないので、30分ほど間をおいてから転移をお願いできますか?』

「了解した」

『よろしくお願いします』

…通話が終了した。
桃色のファーストベル・カードの紙繊維はだんだんと線状に解けていき、ふわっと空中を一瞬たゆたうと儚く消えていってしまう。
5秒ほどで完全に消滅した。

死霊術師(ネクロマンサー)か、とイヴァンはぽつりとつぶやく。

死霊術師(ネクロマンサー)は闇職のなかでもかなり希少な職業で、黒・緑・黄魔法の3適性が必要。
さらに、かなりの人数の同族を殺害していて殺害をためらわない人物であることが適性職業取得条件である。
そのような素質を持った者は大変珍しく、また、何人も殺害できるほど闇職スキルを極めた者がわざわざ転職を望むことなどめったにない。
転職直後はステータス値ががくっと落ち込むので、敵討ちにあうリスクが高すぎるのだ。
これは裏社会の人間ならではの事情と言えよう。

素の身体能力に恵まれているイヴァンだからこそ、何度も闇職に転職していながら生き残ることができているのである。

転職についての思考をいったん中断して、先ほど目に留めたギルドカードを取り出した。
相変わらずステータス値全てがおそろしく高い…だが、運ステータスの数値は赤く染まっている。状態異常の証である。

「称号[ |悪運持ち(バッド・ラック)]に、状態異常[運命の宣告(センテンスト)]…」

カードの端に記載された赤文字は、どちらもイヴァンが初めて見る単語だった。
おそらく昨日の戦闘時に小細工が施されたのだろうな、と考えて、くっ、と喉奥で笑う。
圧倒的な強者であるイヴァンには、多少のハンデを負うことを楽しむ悪癖があった。
やたらと巡り合わせと運が悪かったのは、この異常付与が原因らしい。

このような形で女王様との繋がりが残っているのも悪くはないな、と満足そうな表情でギルドカードの赤い項目をタップする。
それぞれの効果が表示された。

[ |悪運持ち(バッド・ラック)]…運ステータスの値に関わらず、とにかく悪運に好かれてしまう。
悪運が訪れるたびに、精神が強化される。

[運命の宣告(センテンスト)]…赤の女王様に無礼を働いた者へ制裁が科せられる。この、愚か者!

運命さんがノリノリである。

イヴァンは待ち時間の間にこれらについての考察を楽しみ始めたが、先にネタばらしをしてしまうと、称号[ |悪運持ち(バッド・ラック)]はルーカが魔眼の力で強制的に押し付けたものだ。
魔眼の追加効果[トレード]を使っていた。
以前なら、相手の了承をへてスキルを交換することしか出来なかったのだが、ルーカ自身の成長と[器用裕福]の補助により、”相手が不要だと思っている””自分に適用しても無理がない”称号を了承なく[トレード]してしまうことが可能になっていた。
押し付けたものが[ |悪運持ち(バッド・ラック)]なあたり、強奪系のスキルの被害にあうよりもよほど悲惨なものをイヴァンは手にしてしまったといえよう。
精神的にずぶとくなる以外には己に利益がない、極めて損な称号なのだ。

おまけに、称号はセットしなければ効果を発揮しないのだが…ルーカが”セット状態”で押し付けたために、常時悪運状態が保持されることになっている。
渡った[話題のイケメン]称号はオンオフが可能なので、そのあたりも既に運が悪い。
セット状態で渡したらどうなるのか、というのは賭けだったが、ルーカは今回ばかりは賭けに勝ってみせた。
戦闘中に顔の[幻覚]を解いたのは、魔眼が偽られている状態だと[トレード]効果が発動しないかもしれない、と考えたからだ。

[運命の宣告(センテンスト)]の制裁効果とは?とイヴァンは思考している。
そのうち、説明文のいちばん最後にさらに詳細表示のマークがあることに気付いた。
赤く染まった指先を軽快にスライドさせる。

▽マルカジリ

このような表記が出てきた。
首を傾げた…その時。

背筋が凍るほどの凶悪な殺意を察知し、リュックをひっ掴んで大急ぎでその場を離れる。
大岩の影に隠れた。
心臓がドクドクと早鐘を打ちはじめて、肌がゾワリと粟立っている。

…さきほどまでイヴァンが腰かけていた木が、真上から放たれた熱光線でゴシャッ!!と押し潰される。
ーードラゴンブレス!
しかしあれはおそらく様子見で、本気の攻撃ではないのだろう、とイヴァンは判断した。
木々が吹き飛んで随分見通しがよくなった空を見上げると、真上には、かなり巨大なドラゴンが羽ばたきながら留まっている。
身体の大きさに対して攻撃が弱すぎるな…と考えたのだ。
ヒト族一人を殺す分だけのブレスを放ったのだろう。
つまり、狙いは呪術師イヴァンそのものということである。
イヴァンがスッと目を細める。

ーーズドォンッッ!!
地面が震えるほどの衝撃、尻尾を含めない頭胴長が12メートルもある巨大な幻黒竜が、周囲の木々をなぎ倒しながら無理やり着陸した!
大きな翼でブワッと暴風を引き起こし、そこらにいる魔物たちをまとめてふっとばす。
イヴァンの顔を隠していた漆黒のフードも脱がせてしまった。
珍しい深緑色の髪が、激しい風にあおられて揺れる。

ドラゴンの黄金の瞳がギラリと輝き、岩の裏側にいるはずのちっぽけな呪術師を捉える。
激昂しているため、黄金の【ドラゴン・アイ】にはあざやかな赤色が混じっていた。
憤怒の感情を見て取ったイヴァンは「なぜ?」と考え、このドラゴンが自分をわざわざ襲いにきた理由にふと思い至る。

「……昨日捕まえた幻黒竜の親、ということか!
…どうりで。アレはドラゴンにしてはやたら弱くて小さい、時間稼ぎにしか使えない個体だったからな。
成体の幻黒竜はこのように大きくなるのか。ふむ」

随分長い独り言は、ドラゴンの研ぎすまされた聴覚にはっきりと拾われてしまった。
おそらくしょうもない理由で無残に殺されたのであろう我が子を想い、怒りの咆哮をあげ、憎しみを募らせる。

“グギャルウウウウゥゥッッ!!”

「…そんなに喚くな、耳が痛い。
弱い者が強者に弄ばれるのは、自然の摂理だろう?
たかだか一個体が殺されたくらいで、なにをそんなに怒ることがある」

天然煽り野郎はブレない。なぜなら天然だからである。
しかし余裕があるわけではなく、背中には冷たい汗をかいている。

再びドラゴンがイヴァンを鋭く睨んだ。
こいつをブレス一撃で殺してやるのはもったいない、もっと痛めつけて、苦しませて殺してやらねば!と、全力で駆けていく。
太い豪脚と地を確実にとらえる大爪を持つ幻黒竜は、大地を駆けることも得意。
そのうえ、風を纏って一気に加速した!

ズドドドドッ!!とものすごい轟音が鼓膜を震わせる。
急速に詰められる距離に、イヴァンも全力で応戦した。
下手をしたら死ぬかもしれないかなりの窮地だが、口元には歪んだ笑みが刻まれている。
かなりの早口で、晶文を唱え堅牢な闇結界を張ってみせた。

「”汝、闇の領域に足を踏み入れるべからず…
我は境界を操る者
我は現世(うつしよ)と幻世(げんせ)を別ける者
現世(うつしよ)は楽園 そして地獄
幻世(げんせ)は虚無 そして那由多
汝、現世に絶望し、闇を請うか?
我は橋渡しをする者
懇願は、未だ我に届かず…”」

現在の魔力の全てを込める。
逃げる算段はあるのだ。

▽ドラゴンの ヘッドバット!
▽VS
▽イヴァンの [シャドウ・ホール]!

ガヅンッ!!とドラゴンの頭が結界にぶち当たり、あまりの衝撃で黒い壁が大きく揺らぐ。
しかし晶文の効果は強大で、結界には僅かなヒビすら入る様子がない。
死なない程度の威力のタックルで全身の骨を折り、苦しませてやるつもりだったドラゴンは熱い息を吐きだして悔しがる。
憎々しげに子の仇を睨みつけると、今度こそ容赦のない体当たりを繰り出した!
3回、4回、5回…
大きな咆哮とともに、思い切り結界に頑丈な身体をぶつける。

結界の維持をするために、込めたぶんの魔力が徐々に消費されていく…
もうあまり猶予はないな、と判断したイヴァンは、身がわりドールとの契約魔法を発動させ始めた。
ガララージュレ王国に転移し、逃げるつもりなのだ。

涼しげな顔で自分を見上げている呪術師の目に宿った勝機に気付いたドラゴンが、ならば結界ごと飲み込んでやろう!と口を大きく開ける。
ズラリと並んだ鋭い牙と、紅色の舌が覗く。
このタイミングで、イヴァンは確実に逃げ出すはずだった…

女王様の怒りによって赤く染められた手のひらが、チリチリと甘い熱を持つ。
そしてイヴァンは、自分でも驚きの衝動に心を支配されてしまう。

「…もしこの牙に貫かれたならば…」

きっと、凄まじくイタイ。
それは…キモチイイ?

バクンッ!

ドラゴンの厳しい顎門(アギト)は、呪術師イヴァンを結界ごと無理やり飲み込んだ。
そしてラチェリの森からこつぜんと姿を消してしまった。

***

ガララージュレ王国王宮の一室でイヴァンとの通信を終えたモレックは、ふぅ、と軽く息を吐いた。
自分をいたわるための一息である。
相変わらずマイペース過ぎる青年イヴァンとの会話は苦行だったが、それでも問題がひとつ片付いたので、気持ちは晴れやかだ。

桃色のカードが消滅したことを確認して、もうひとつのイヴァンとのベルカードに目を留める。
専用の魔法カードケースを開いて、重要人物用のスペースにイヴァンの名のカードを放り込んだ。
まるでマジシャンがカードを切るときのように、空中でカード全てが整列して弓なりに浮かんでいる。
人物名の並びを確認しおわったモレックは、「いいですね。クローズ」とご機嫌でつぶやいて、全てのカードをケースに仕舞った。
「クローズ」のひと言で、カードは自らケースの中にパタパタと戻っていく。
モレックは整理整頓をきちんとする、几帳面な性格のようだ。

イヴァンはおそらく、ガララージュレ王国での仕事仲間になるだろう。
そう考えて、少しだけ表情を曇らせる。

(あの人、とんでもない実力者のくせに周りに配慮せず自由気ままに立ち振る舞うから、だいたい周囲がひどい損害を被るんですよねぇ…。
今回もそんなことが起きなきゃいいですけど。
私の周りで厄介事が起きて巻き込まれるなんて、ごめんです。
シェラトニカ様は機嫌をそこねるとそれはもう面倒くさい子になりますし…詐欺師のキャリアを活かして、うまく彼女を絆してほしいものですね。
イヴァンはルックスだけはいいですし、いっそお互いに惹かれて結ばれてくれれば万事解決したり……しませんね。絶対。
どんなモンスターカップルが生まれることやら…おっそろしい…!)

一人でしょうもないことを想像して、ぶるりと震える。
今日はちょっぴり冷えるなー、なんて現実逃避しつつ、遠い目でドアをぼんやりと見つめた。
早く女王様に勧誘成功の報告をしなければ、と重い腰をあげる。

シェラトニカの部屋を訪れたモレックは、イヴァンが約20分後にガララージュレ王国を訪れると告げた。

現ガララージュレ王国の女王、シェラトニカは大きな鏡台の前に腰掛けている。
ゆっくりした動作で優雅に立ち上がると、最高級の糸が使われたレースカーテンの向こうからその美しい姿を現した。
揶揄ではなく、実際にとても美しい。ただ、性格が途方もなく面倒くさいだけである。

まだ16歳にもかかわらず女性らしい色気を放つ豊満な身体、色白のきめ細やかな肌、蜜のような金色の巻き髪。
もっとも印象的なのは世にも珍しい紫色の瞳。
豪奢な青のドレスがとてもよく似合っている、まごう事なきゴージャス系美少女。
いや、もう美人と言った方がしっくりくるだろう。
女性にしては背が高いうえヒール靴を履いているので、さらに大人っぽく見える。
その美貌は、目から下のみが踊り子のような薄い布がかけられて隠されていた。
肌荒れを気にしているのだ。

紫の目をにっこりと弧のかたちに歪めて、シェラトニカは微笑む。
まだ少女らしい可憐な声には、すでに王族としての威厳が溢れている。

「ご苦労さま。モレック・ブラッドフォード。
死霊術師(ネクロマンサー)探し、ずいぶんと時間がかかっていたけれど、見つかってよかったわぁ。
お手柄よ。
他の使えない官僚たちよりも、あなたを優遇してあげましょうね。
国の倉庫にある魔道具のなかで、欲しいものを一つだけ私用に持っていっていいわ。
管理大臣が嫌がっていても、私が許可したと言いなさい」

何様女王様、我儘娘、ここに見参。

「わぁ!いいんですか。
シェラトニカ様は最ッ高にお優しいお方ですー!
お美しくて、お優しくて、その上魔法の才能もあるなんて…天はあなたにいくつ贈り物を与え賜うたのでしょうね?
誰よりも、ここにいらっしゃるシェラトニカ様が世界に一番愛されているのでしょう!」

「…あなたの褒め言葉って、どこか拙いわ。それに頑張ってる感があまりにひどくて…言葉の組み合わせもところどころおかしいし…
もっと自然に気持ちを言葉に表せられるよう、努力しなさい」

「女性と縁のない寂しい人生を送ってきたので…はは。
シェラトニカ様の美しさを満足に表現できる人間になりたいものですね。精進いたします」

「ええ」

ええ、じゃない!とモレックは内心で叫びを上げる。が、うさんくさい笑顔は崩さない。
自然に常にシェラトニカを美しいと感じている前提なのがすごい、と思う。
確かに美人なのだが、己の言動で全てを台無しにしている。
美しいことでここまで高慢になれる者も珍しい。

こと美しさに関しては、シェラトニカは異常なほどの執着を見せる。
本人の本質でもあるが、歪んだ環境で育てられたことも彼女の人格生育にある程度影響しているかもしれない。
母親を己の手で亡き者にして、徐々に彼女の口調を無意識に真似るようになってきていた。
普段はそれなりに思慮深く、女王様らしい立ち居振る舞いもなかなか様になっているシェラトニカだが…
美が絡むと、とたんに愚かになる、とモレックはこっそりため息をつく。
シェラトニカは控えていた侍女に何事かを言づけて退室させた。
そしてモレックの横をすり抜けて、一言。

「行きましょうか」

「…どちらに?」

「死霊術師(ネクロマンサー)候補のイヴァンがこちらに来るのでしょう。
だったら、私が素敵な女王様だって最初から印象付けておきたいもの。
大広間に重鎮たちと祭事騎士たち全員を集めて、私に跪かせるのよ。
そうしたら、一目で力関係が分かるわね。
いい考えだと思うでしょう」

「…………………………さっすがシェラトニカ様ーー!」

「…あなたのそういう話し言葉、嫌いだわ」

どうしろと。
もうどうとでも言ってくれ、と目を濁らせて笑うモレック。
ちなみにだが、モレックも見目は悪くないため普通に女性経験もあるとフォローしておこう。
へりくだってみせたのは、ご機嫌取りのためだ。

部屋を去る前にひとつ言っておかねばなるまい、とモレックは慌ててシェラトニカを引き留める。

「再度これだけは申し上げますが、シェラトニカ様。
イヴァン・コルダニカは大変扱いづらく、また、周囲のものを不幸に巻き込むことがかなり多い広範囲爆破魔法を擬人化したような男です。
くれぐれも舵(かじ)取りにはお気をつけください。
…身のうちに引き込んだことを後悔なさいませんよう」

「分かっているわ!
上手に手のひらの上で転がしてみせるから、そんなに何度もお小言を言わないで頂戴。
せっかくこれから綺麗になれるっていうのに、気分が悪くなっちゃう。
モレック。死霊術師(ネクロマンサー)を迎え入れるという意思は絶対に変わらないわ。
この私に黙って付き従いなさいな」

「…失礼いたしました」

内心で舌を出しながらも、モレックはぐっとおし黙る。
危なっかしいシェラトニカのことを思いやってのなけなしの最後の忠告だったのだが…案の定流されてしまった。
もうなるようになーれ、と投げやりに考えて青の女王様の後に続いて歩く。

モレック・ブラッドフォードがこのように精神を削りながらもガララージュレ王国に身を置く理由。
それは、この国に己の破戒僧としての力を貸せば、不幸に嘆く人々をたくさん観れると思ったからだ。
ただし自分に火の粉が降りかかるのはごめんなので、イヴァンには出来れば関わりたくなかった。
もう方向修正は無理そうだが。
モレックは幸せな人間というものが嫌いだ。嫉ましく、憎んですらいる…。
誰でもいい。
ただ、自分より不幸な人間を観ることがいつの間にか生きがいになっていた。
このような考えに至った彼の過去の話は、また後ほど。

我儘女王様のツルのひと声で、大広間には家臣たちのほぼ全てが集められた。
さすがに下位の者たちも含めると全員は入らないので、退けられている。
ホッと安心する下流貴族たちを、上流貴族が羨ましそうに見つめるというなんとも珍しい現象が起こっていた。
この場にイヴァンがもし居合わせたなら「ふむ。実に興味深い」と発言しただろう。

壇上には荘厳な装飾の椅子に座るシェラトニカ。
家臣たちは階級別に整列しており、それぞれ礼をする準備は万端である。
モレックただ一人が彼らから更に一歩前に出ている。
そしてモレックと王座への階段の間には、ぽつんと不気味な包帯まみれの人形が置かれていた。

イヴァンが託していた身がわりドールだ。
なぜ契約を済ませた身がわりドールをモレックに渡していたのかというと、転職をしたくなった時にすぐ転移できたら便利だから、という今回と何ら変わらない理由だった。
転移にのみ使われる運命だったのだろう。
もしイヴァンが死亡して契約が切れた場合にはモレックが身がわり人形を自分のものにしていい、という約束で、この魔道具を渋々受け取っていたのである。

ベルカードでの通話が終わってから、そろそろ30分。
そう思うと、ガララージュレ王国の情報伝達と統率力の高さには目をみはるものがあった。
独裁政治ゆえだが。

身がわり人形が裂けた口からドス黒い霧を吐き出しはじめ、それが徐々に空中に魔法陣を描いていく。
丸い円の中に、六芒星と魔法文字。あらかじめ込められた闇魔法の魔力が、黒く輝きだす。

少しだけ親しみを込めた挨拶をしてあげようと、シェラトニカは王座から腰を上げ、立ち上がる。
かなりご機嫌な様子でにっこりと微笑み、そろそろイヴァンが訪れるであろう魔法陣を静かに見下ろした。

モレックは眉を顰めている。
吐き出されている霧の量が、魔法陣の大きさが、少々おかしい気がしたのだ。

やたらと巨大な魔法陣がついに完成して、カッ!と大広間に黒い光が満ちた。
身がわりドールは無残に砕け散って砂状になっている。
どのような者が死霊術師(ネクロマンサー)として選ばれたのか一目見てやろうと、家臣全員が食い気味に身体を前のめりにたおしかけた…
そして、ピキリと動きを止める。
強烈な覇気をわずかな本能で感じて、膝を無様に震わせてしまう。

シェラトニカもモレックも、間抜けに開けた口が塞がらない。
その存在に広間の者全員が戦慄し、怯え、咆哮により王宮中に衝撃がはしる。

“グギャアヴヴウウウッッ!!!”

漆黒の鱗に包まれた巨大な体躯。
鋭い爪を持った手足に太い豪脚、あまりに凶悪な光を宿した黄金の目。
この瞳に睨まれた貴族数名が速攻で失神した。

「「「はああああああッ!?」」」

何人かがツッコミよろしく悲鳴を上げると、それを合図に皆が蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ始める。
倒れた者は無視、婦人など、ドレスのスカートを捲り上げて優雅さの欠片もなく引きつった顔で全力疾走している。
ーードラゴン!
アネース王国ラチェリの森の奥深くにしか生息しない、大変珍しい幻黒竜だ。
なぜ、こんなところに!

▽幻黒竜が あらわれた!

「一体なにごとなの……!?」

シェラトニカも、生ドラゴンを人生で初めて目にして青ざめている。

ドラゴンは一度だけ咆哮を上げたあとすぐに顎門(アギト)を閉じて、何かに苦しむように身をよじると、長い尻尾をバタンバタンと振り回し始める。
壁際に飾られていた贅を尽くした芸術品の数々が次々に壊され、大理石の床には大きくヒビが入ってしまった。
ガララージュレ王国の財政はかなり厳しい。
高級美容品を買う余裕がなくなるじゃない!と、シェラトニカは顔を引きつらせる。

体調がよろしくないドラゴンの機嫌は最悪で、手当たり次第にあたりの物を攻撃し始めていた。
すでに、太い柱が数本折られている。これはかなりまずい。

「…ゆ、許さないわぁ![影縛り]!」

シェラトニカはなけなしの勇気を振り絞って、両親を殺した闇魔法でドラゴンの捕縛を試みた。
黒魔法にはかなりの適性があり、世界でも有数の闇魔法の使い手と言ってもいいだろう。
強力な闇のロープが地面から生えてドラゴンに絡みつき、その動きを一時だけ止めた。

シェラトニカは額に青筋を浮かべて、モレックに怒声を飛ばす。

「身がわりドールで転移してきたのがドラゴンだなんて、どうなっているの!?
納得のいく説明をして頂戴!」

モレック自身はちゃっかりと光の結界を作り出し己を守っており、ドラゴンの尻尾ビンタを免れていた。
闇職とはいえ、全員が黒魔法適性があるわけではない。
堕ちる者の素質と魔法適性は関係がないので、モレックの魔法適性は元聖職者らしく白、光魔法だ。

「わ、私にも分かりませんんーーっ!
その身がわりドールと契約していたのは確かにイヴァン・コルダニヤですし、ドラゴンが転移してくる心当たりなんてありませんよー!?」

「ええい、使えないわね!
モレック、これから3ヶ月間減給よ。
自分が選んだ友人の後始末、できないとは言わせないわ!
この場をなんとか収めてみせなさい!
あとで資金調達の任務も追加で命じるからっ」

「そんな無茶苦茶な!?
…それに、あんな非常識の塊と友人だなんてあんまりですーっ」

命がけのコントをしている間にも、ドラゴンは力尽くで[影縛り]の拘束を解いてしまう。
自身を攻撃してきたシェラトニカを怒りに燃える瞳で見つめて、翼を大きく広げて宙に浮かぶ。
ーー風を纏って飛び、シェラトニカにヘッドバットを仕掛ける!

「ひッ……」

「っ……あーもうっ、[白光結界]!」

▽ドラゴンの ヘッドバット!
▽VS
▽モレックの [白光結界]!

…かと思われたが、ドラゴンは結界に渾身の頭突きをくらわす直前で動きを止めた。
身体を強張らせて震えているシェラトニカの前で、数回グゲッと喉を鳴らすと、かたく閉ざしていた顎門(アギト)を徐々にギ、ギ、ギ、と開き始める。
こじ開けられた、といった方が正しいか。

ズラリと並んだえげつない牙が徐々に覗き、結界向こうにいるシェラトニカはまたも「ひいっ」と悲鳴を上げた。
そしてその歯の向こう側にいる全身血塗れのアンデッドのような青年の姿を見てしまい、顔色を蒼白にする。

「………ん!」

血塗れの青年は気合いを一声入れると、手にしたマジック・ロッドでついに上顎を押し上げて、ドラゴンの体外へとその身を躍らせた。
一瞬遅れてガチンッ!と顎門(アギト)が閉まるが、イヴァンを噛み潰すことはできなかった。
豪奢な絨毯に血跡を付けながらゴロゴロと2回転して、むくりと起き上がる。
そう、この全身赤黒くなった青年はイヴァンである。

即座にまたイヴァンを飲み込もうと頭を突き出してきたドラゴンを、素の筋力とほんのわずかな魔力の黄魔法[腕力強化]のみでぶっ飛ばす。
まさかの物理用途に使われ続けているマジック・ロッドがゴインッ!と鈍い音を立てる。
ドラゴンの体内にいる間にほんの少しだけ魔力が回復していたようだ。

▽イヴァンの ロッドスイング!
▽ドラゴンの鼻先にヒット!

鼻先は鱗の層が薄かったらしく、ひるんだドラゴンはグギャアッと悲鳴をあげて大きく後退する。
それを見たイヴァンはうむ、と頷いた。

「なるほど。幻黒竜の弱点は鼻先か。
そこだけ鱗が小さめだな…よって、防御力が低いのか。
他にはどのあたりが弱点なのだろう。実に興味深い」

「…なにものなのッ!?貴方は…!」

「今は思考に忙しい。邪魔をするな、うっとおしい」

「じゃっ、邪魔……!?」

称号効果で様々な悪運に見舞われているイヴァンは、以前にも増して精神強化され…迷惑なマイペースさを増していた。
無神経発言に磨きがかかっている。

「うわわわッ、シェラトニカ様ぁ、ソレ!
ソレが、例のイヴァン・コルダニヤですよーー!
ほらやっぱりろくでもなかった…」

「こんなのっ、非常識の枠を超えているわ!
見るからに異常者じゃない。ここまでの人物予測なんて出来るわけがないっ…モレック、減給は4ヶ月よ!」

「ひっっどい!」

八つ当たりされやすい不幸な男、モレック・ブラッドフォード。
コントを繰り広げているあたり、実はシェラトニカとなかなか相性がいいのだろうか。

ドラゴンに視線を向けてるイヴァンは、前後から自分を挟んで聞こえてくる喧騒にうっとおしそうに首を振る。

「…やかましい」

「貴方にそんなことを言う権利があるとでも!?」

「もーー!イヴァンなんて大っ嫌いですー!
シェラトニカ様になんて口聞くんですか!?
(あとでご機嫌取りするの面倒なんですから友好的に話せないならもう黙ってて下さい!)」

それぞれの様々な主張が混在していてカオスである。
自己紹介せねばこの喧騒は鎮まらないらしい…と判断したイヴァンが、淡々とシェラトニカに向けて発言する。
ドラゴンを観察しているため無礼に背を向けたままだが。

「女王様とやらに呼ばれてここを訪れた”死霊術師(ネクロマンサー)候補”イヴァン・コルダニヤだ。
現在は呪術師をしている。よろしく頼む。
この血はほとんどがドラゴンの体内を傷つけた際の返り血だと言っておこう。
俺の体調に問題はない。
…身がわりドールを使用した際に、うっかりドラゴンの体内にいてな。
自分だけが王国に転移するものと思っていたら、ドラゴンごとだったのだ。
このような実例は初めて聞く。興味深い現象だな」

なんって迷惑な。
そんな時におためし転移するな!と言いたい被害者たちだったが、ドラゴンが持ち直して咆哮を上げたことで青ざめて押し黙る。

シェラトニカもモレックも、どちらも後方で戦闘補助をすることに向いている。
あの様な巨大ドラゴンを自分たちだけで倒せる算段などまったく無かった。
新しく騎士団長の役職を与えた上位貴族は、シェラトニカを褒めることに関しては見事なものだったが、騎士たちを統率する手腕はまだまだで、早急な騎士たちの応援は期待できない。
呪術師イヴァンも前衛職ではないのだが、無理やりの力押しでなんとかなっている。
才能をこんな奴に与えるなんて、世界は理不尽で適当だ。
しかし、魔力ももう使い果たしており、さすがにそろそろ使い物にならなくなるだろう。

「あのドラゴンは幻黒竜と言ってな。
普段は森の奥深くにおり人前に姿を見せるのは珍しいのだが、子を殺したら親が釣れたのだ。
そして俺は復讐のため狙われた。
結界ごと丸呑みにされる際に、少しだけ牙で腕を傷つけてみたのだが…痛みはあれど、心地よさは全然感じなかったな。
怪我をしただけ損だった。残念だ…」

イヴァンは実に無駄な呟きをつらつらと吐き出す。

「わざわざ怪我しにいったんですか!?
死に急ぐなら、一人で逝って下さいよー!
こっちにまで迷惑かけないで下さい、もう…このバカやろーーーー!」

「死に急ぐ気はまるで無かったのだがな。
つい、痛みに焦がれてしまって。ハズレだったが。
不思議なこともあるものだ」

「貴方の思考が不思議よ!
っ……ドラゴンが持ち直したわ、逃げるわよ、お前たち盾におなり!」

「ちょっ…シェラトニカ様ぁー!?
盾という表現は酷すぎです!」

「ふむ。…これがガララージュレ王国の女王様、か。
覇気が足りない、好奇心を刺激されない、女王様の器ではないな。
まるで印象に残らない。
それに容姿が美しいとは言っても、その辺にいる者のような顔の作りだ」

なんでもない場所で偶然見かけた、イヴァンにとってどうでもいい存在であるルーカの美貌に似ている、という事が言いたかったようだが。
精神がよりずぶとくなったイヴァンは、他者を思いやる詳細な言葉選びをサボった。
自分だけが本当の意味を理解できればいいや、とばかりに適当な言葉を吐き出す。

「……なんですってぇぇぇぇ!?」

容姿を雑に貶されたシェラトニカの機嫌は最悪になった。
モレックの心労がドスドス溜まっていく。
白髪が増えそうである。

逃げ出した3名を追って、ドラゴンはガララージュレ王宮を体当たりやらドラゴンブレスやらで破壊し尽くしていった。
しばらくして駆けつけた騎士たちも、翼の暴風で一気に蹴散らしてみせる。
ビリビリと鼓膜を震わせる咆哮を響かせて、イヴァンをどこまでも追っていく。

時には駆けて最高級の大理石の床をおもいきり砕き、飛び上がって天井に穴を開け、尻尾で支柱を破壊していった。
贅の限りを尽くしていた王宮は、この数刻だけで見るも無残な姿になった…
この非常識男にも私の美しさを認めさせてみせるわ!とイヴァンを手放さないことを決めた容姿暴走女王シェラトニカの決断により、被害がより拡大してしまったと言っておこう。

3時間は逃げ回っていただろうか。
最後はイヴァンの片腕を<マルカジリ>したドラゴンは、ようやくそれなりに満足したようで、多くの攻撃を受けて傷つき始めていた体を翼で持ち上げるとアネース王国方面に飛び去っていった。
去り際に空の安全地帯からブレスをお見舞いすることも忘れない。
なかなかいい性格をしている。

片腕を治癒魔法で無理やり生やすか、と聞かれたイヴァンは「気が狂うほど痛いのだろうな。是非やってくれ」と発言して大 顰蹙(ひんしゅく)を買った。
モレックには「真性のマゾヒストなんですか!?きっしょーー!」とドン引きされている。
だが、精神強化(略)マイペースな彼はその程度のお叱りではまるで堪えていない。
魔法実験の現場見学の権利を手に入れる代わりに、イヴァンはガララージュレ王国に力を貸すことになった。
……死霊術師(ネクロマンサー)として。
問題児な彼の後見人には、モレック・ブラッドフォードが選ばれた。がんばってくれ。

大損壊した王宮の修復には莫大な費用と人手が必要となり、様々な悪巧みを企てていたガララージュレ王国はそちらにかかりきりにならざるを得なくなった。
しばらくは新王国政府が周辺の国々に悪事を働くことはないだろう。

赤の女王様はあらゆる運命を巧みにあやつり、悪を破滅の道へと導く。
これもお導きなのかもしれない。
赤の運命を讃えよう。

 

pixiv fanbox

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