341:”今”の凍土2

ラビリンスと前凍土が混ざり合った、新たな大地が誕生した。
その名は<|氷の楽園(アイス・ヘヴン)>。

ルーカが高らかに説法すると、集まっていた動物たちはポカンと口を開いていたが、一呼吸おいてから『ガウガウガオーーン!』と喉を鳴らした。

正直よくわからない所だらけだけど、見渡す限り景色は素晴らしいし、前族長のロベルトが見たことがないくらい嬉しげに笑っているので、きっと良い状況なのだ。

動物たちは危険察知にも長けているが、きびしい自然の中でわずかな良いものを探し出す力も長けている。

誰かが笑っているとき同じように笑うと、その一瞬は、幸福な時間であることを知っている。雪豹たちの口元からはあたたかい息がほっこりと溢れて、牙がキラリとした。

レナが、掲げていた氷の精霊杯を振る。
中にある氷の結晶がからころと音を立てる。

ドワーフ達が修復したオリハルコンの装飾が青白い太陽にあたって、周辺にプリズムの光を拡散した。しゅわっと吹き上がった白い霧に映ればオーロラのように色が遊ぶ。

さて、レナの手にあるそれをさっさと降ろせとピョンピョン飛んでいる小柄な少女がいるのだが。

動物たちはもう気付いている。
特別な存在なのだと本能が訴えてきている。
鼻が利かない弱い動物には、その上位にいるものが丁寧に伝えて、瞬く間に群れ全体への伝達が行われた。

凍土に精霊(・・)が現れた!!

”土地を愛し、豊かな恵みをもたらしてくれる精霊”がついに現れたのだ。

自分たちが凍土を見捨てなかったから。
と思うのも無理はない。

空腹をごまかすために木の枝を噛んだことも、緑の大地を夢見た頭を振って凍った大地を走ったことも、すべてその体にしみている。

『精霊様!!』

動物たちが一斉にいっせいに頭を下げた。
獣は伏せをするように、雪妖精たちがおじぎをするように。
北風は息を呑むかのように止まって、みんなが精霊の言葉を待っている。

その精霊(・・)はというと──
一歩下がってレナの背中の影に隠れてしまい、顔色を青くして歯をカチカチと鳴らしている。極限まで見開かれた目は動物たちを通して古代の信者を見ているのではないか。

(信者がトラウマになっているんだね〜)

レナがそっと同情した。
ラビリンスの中のことを思えば、無理もないことだ。

(どうしてあげたらいいかな。動物たちにとってもこの子にとっても、一番いいように……関わってしまった以上、手助けはしたいけど)

考えているうちに、上に掲げている腕がぷるぷるしてきた。
かといって聖霊杯を降ろすと、氷の聖霊が取り返しに来るかもしれないし。

(今となっては飛ぶことも雪や冷風を操ることもできないから、弱い状態で信者の前に現れるのがいっそうこわいのかもしれないね)

”こわい”
この大事なキーワードの使い方を、レナは履修済みである。

少し頭をうしろに傾けて、半透明の氷の聖霊に耳打ちした。

「いやぁー氷の聖霊さん、こんなにたくさんの信者に傅かれても堂々としてるなんて、本当にすごい存在だなあ。こわいなー!」

▽完全に喧嘩を売っている。
現状ビビリちらしているのだから。

バキリ! と氷の精霊が歯を噛み締めた。つららが砕けるような音だ。

(やば。方向性曲げすぎたかな?)

『──今に見ておれ』

氷の聖霊はずかずかとレナの前に歩いていくと、背を向けて、ポーズを決めた!

片足立ちに、しなやかに伸びた右腕は横に、左腕は上に。腰をクイッと曲げて、顎を上げて動物たちを見下ろしている。

(……。何、あれ?)
(古代では、あの仕草をすると地下から氷の柱が出現して聖霊を飾りたてる仕様だったんだよ。弱っている今となってはただのポージング)
(……)
(……)

おおっ! と感嘆の声を上げたのは動物たちだ。
褒めそやかすのはまかせておこう。

あまりにも突飛なポーズと見栄っ張りさに、レナたちは込み上げてくる笑いをこらえるのが大変なのだから。
崩壊ギリギリの真顔で震えている。

キラとハマルは、チープな喜劇でも見ているように瞼を半分降ろして呆れながら、聖霊の背中を眺めていた。

(聖霊なのか、精霊なのか。彼女にはどちらがふさわしいでしょうね?……しばらく様子を見ましょう)

10秒、20秒──精霊は、何も言葉を発しない。

集まった動物や魔物の前に現れたのは、ただの見栄っ張りゆえであった。
さらに、千年の間に進化をした現代の動物たちの言葉が分からなくなっている。なにも伝えられない。

かろうじて言葉を理解できるのはヒト族のレナや魔人族たちだが、今更、振り返って助けを求めるわけにもいかないし。

レナは助け舟を出すことにした。

「氷の精霊様、とても慕われているみたいですね。期待されているっていうか……こんなにたくさんの信者に傅かれた精霊様って、私は一度しか見たことがありません」

▽自尊心を盛ってあげよう!

そもそも精霊の絶対数が少なくて見る機会そのものがレアなのだが、古代では聖霊がたくさんいて領土を取り合っていたことを氷の彼女は覚えていたので、いい方向に作用した。

ほとんど透明だった体にふんわりと白い霜が降りて、氷色の美少女が実体となってゆく。

「──儂は氷のセイレイだ」

待ちにまった言葉は、震え声だったけれど、波紋のようになめらかに凍土に響いて、動物たちの獣耳でも聞き取ることができた。

雪に浸透し、氷に染み込み、山の上まで冷風に乗って魔力が吹きぬけてゆく。

切れ長の目にはほんのりと光が宿り、聖霊がほうっと息を吐いた。

(こちらですね)

キラは小さなウィンドウに指を走らせて[氷の精霊]の確定ボタンをタップした。

現代のものを信者として定めたのならば、これから変わっていけるはずだ。

レナたちはぞろぞろと針葉樹の森を歩いていく。
レナパーティを先頭に、動物たちがついてきていて、まるでパレードのような光景だ。

「森の木々は倒木を無理やり起こしただけで、樹木そのものは治っておりません」

キラが指差した先の木は、しっかり立っているように見えて、実は幹の部分がバキバキに折れていて氷で繋いでいるという。

「先に光景を再構築して、場所確定をするべきだと判断致しました。これらの森林再生については、聖霊対策本部のみなさんに手伝って頂きたいのですが」

キラが目を向けたのは、樹人のクリスティーナ。

クリスティーナはガシガシと頭をかいた。
目元の化粧がこの冷気でパリパリと凍っているので何度もまばたきをしている。眉根を寄せた。

「森の再生……できなくはないですよ。緑の調整といえば樹人が得意とするところですから。……どちらかといえば私は破壊のほうが得意」
「では再生のほうをヨロシクお願いしますね!」

言い訳されないうちに、キラが被せるように決めてしまった。

(レナパーティにこそ、その力があるのでは?)……と思ったクリスティーナだが、なにもかも一介の冒険者に任せきるのもよくないと、ロベルトに目配せをしてから請け負った。

凍土の再生というとんでもない規模の変革だ。魔王国はしっかり噛んでおきたいだろう。なにせレナパーティの|後ろ盾(しりぬぐい)は確約しているのだから。従順な従業員はできるだけよい成果を持ち帰るまで。

クリスティーナは列を抜けて、動物たちの集まりの一番後ろをのっそりのっそりと歩いていたモミの樹人たちに声をかける。

幹を思わせる褐色の肌に、新雪みたいな白銀の瞳、深緑色の髪にからまる樹人の葉。伸びやかな二メートルほどの長身。
わざわざ魔人族の姿をしているのは、巨大な魔物型だと森林地帯の他の木々にぶつかってしまうかもしれないからだ。
モミの木の樹人たちは一番若くても50歳を超えていて、最近では若木が生まれていないことを示している。

「みなさん。森の再生について私がお教えいたしますわ。範囲が広いので手伝っていただきたい、よろしいですね?」
「うん」
「もちろん」
「これからもこの凍土で生きていくからのぅ」

そう言って樹人たちはにょっきりと首を伸ばして、熱いまなざしで氷の精霊を遠目に見た。

氷の精霊は、びくんと肩を震わせた。
宣言したとはいえ、トラウマがまだ治っていない。こればかりは時間がかかることだろう。

レナは手に握った氷の聖霊杯をスリスリと撫でた。

こちらは、まだ氷の聖霊杯という名称のままだ。
美少女は存在が薄っぺらくなっていたためにキラに書き換えられたが、聖霊杯そのものは存在を曲げられなかった。
古代の歌が聖霊杯の金属部分に刻まれているし、現代のドワーフたちもこの素晴らしい芸術品を絶対に忘れないから。認知の差だ。

レナに触られるたび、びくんびくんと氷の精霊が震えているので、聖霊杯と精霊は無事に繋がっているようだ。
今のところは名称が違っても消滅の危険はないだろう。

森林地帯の広場にたどり着くと、まっさらな雪の上にクリスティーナが木の枝をぶっさして魔法陣を書き始めた。

外側の線に沿って樹人は並ぶように、と指示をする。
内側の魔術線を余分に踏んだりしないように、整列させる。
実にそつがない指導だ。

「はい、いいですね。じゃあ私が魔法を発動するから、みなさんは同じ仕草をしてください。魔力が繋がったところからこの森に浸透していって──樹人ならば|分かる(・・・)はずです」

クリスティーナは口の中だけで何事か呟くと、ゆっくりとしゃがみこみ地面に両手をつけた。

「[自然共鳴]」

樹人たちの頭の葉がざわめく。
魔法陣の雪のくぼみに沿うように緑の魔力が広がっていって、地下に浸透すると木の根に繋がって、樹人の魔力が(チョウダイ、チョウダイ)と木々に吸い上げられていく。
広場の近く、森の隅々までだんだんと、針葉樹の幹が緑色に輝いていった。

樹人たちは魔法陣を通して自分たちがこの森そのものと繋がっているような感覚を覚えた。

──魔力枯渇でクラクラと目をまわし始めたタイミングで、

「はいここまで」

クリスティーナが雪の中から手を引っこ抜いた。

どさっと樹人たちが雪に倒れ伏して、ふひゅーふひゅーと途切れ途切れの息を吐く。
しばらく休めば問題ないと判断したクリスティーナは、キラへの報告に入った。

「この森林地帯くらいは再生できてると思いますけど、いかがです?」
「はい、確認しました。氷でツギハギした木々も繋がっており、一日もあれば生き返るでしょう。まだ弱々しくはありますが、毎日このように魔法をかければスクスク元気になるはずです」

「「「毎日!?」」」

樹人たちが叫んで、またどさっと倒れた。
魔法陣の描き方教えますからねー、とクリスティーナがニッコリしながらひらひら手を振る。

「スクー。森の端はどうだった?」
「っス、見てきました。魔力がきちんと届いています。中央に比べると幹の輝きが弱っちいですけど、端っこは太陽の光がよく当たりますから、中央よりも世話してやらなくても回復していくと思います」

「リーカ。木の魔力の分布は?」
「葉脈の隅々までオッケーです。葉まで魔力が届いていれば、光合成がさかんに行われますから自力でも生命保持がされますよ」

「ロベルト隊長」
「ご苦労だった」

それぞれに確認をとってから、クリスティーナは「仕事完了」と敬礼した。
今回はやることがなかったドリューがクシャミをしたが、適材適所、余計なことをやらないことも仕事のうちである。

「ありがとう御座います! 魔法を共有したことで、樹人の皆さんが同様の魔法を覚える確率も上がっていたりしますか?」

キラの質問に、クリスティーナは苦笑する。

「習得の法則をよく分かっていますよねェ」
「分析理解が得意なのです。私ってば賢いっ♪」

実際にとんでもないコンピュータ頭脳を持ち、その上で遊んでいるのがキラである。

「──体験は鍛錬と同じですから。繰り返していたものを覚えます。ラナシュ世界に認められる、って貴方になら言うべきかもしれませんね。
[自然共鳴]は凍土ではあまり使われていなかったスキルのようですが、樹人が一般的に覚えられるものです」

「豊かな土地には豊かな理由があるってことですね〜」

「緑の大地に住む樹人はコミュニティの長老から教えてもらうらしいですよ。コミュニティごとに少々勝手も違うし、長老が伝えられないまま朽ちたら方法は途絶えます」

キラはもう自分よりも詳しく知っていたのではないか?と、クリスティーナは半眼の笑みを向けている。わざわざ森林の再生を任せたのは、樹人たちに学ばせるためではないかと。

凍土にずっといるわけじゃない。
一時的に最高の環境を提供するよりも、地元の生き物たちが自分の力でこれからも生きていけることが選ばれているのだろう。

(そこまで考えてもらったらロベルトも尻尾振ったりしちゃうわな)

クリスティーナに見られてやっと気付いたのか、ロベルトは自分の尻尾の端をぎゅむと掴んでそっぽを向いた。

これが面白かったので、魔力のほとんどを使い果たしてしまったクリスティーナも苦笑だけで許してやることにした。

「ん?」
(……)

ギルティアがクリスティーナの上着の裾を掴んで、俯いている。なにか思うところがあったのか、だいたいの想像はついたが、自分から聞いてくるまでクリスティーナは待つことにした。
ずっと一緒にいるわけじゃないのだから。

森林地帯をそのまま突っきる。
自分たちが治した木々を見た樹人たちの顔が、ほころんでいく。赤紫色の花が咲いたものまでいるほどだ。

これほど効果があるのなら、氷の大地と共鳴するのは身を切るほど痛かったけれど、頑張って続けてみようかと思えた。

そんな時、

「おや? 雪豹が一頭居ない」
「ロベルトさん。氷の精霊もすうって消えちゃいました。すうって!」

レナとロベルトがちょっと青くなった顔を見合わせた。

キラがにょきっと間に割って入って、ちちち、と指を振る。

「凍土を設計したのは私ですよ。わーたーし。間に入れて、ね? ウフフッ! さあ検索中……検索中……みーつけた。二人の様子を眺めてみましょう」

▽巨大なウィンドウが現れて 鑑賞会をすることになった。

▽覗き見される精霊に ロベルトたちは心底同情した。

 

 

 

 

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