335:凍土の聖霊と古代の信者

氷の聖霊はずっと大地に閉じ込められていていやだった。
自分を覚えている者がいなくて、存在すらあやふやなのがいやだった。

いや、はこわい、と似ているとレナは思っている。

怖いことを怖いと表現できないとか、直視したくないとか、そのようなときに「いや」という言葉を使ってしまうことがある。
それは自分を守るために。
怖がりな自分をちょっとでも強く見せたいときに。

レナが[お姉様]の称号を使う時には、怖いという言葉が「いや」「冗談じゃなくってよ」に変換されることがある。

「怖がりー!」

▽レナが 聖霊を 煽った。

ハイヒールですっ転んだので氷の床に這いつくばりながら、なんとかこっちを向かせようと声を張り上げる。

『──なぁにぃ!?』

▽聖霊は 素直に煽られた。

くわっ! とした表情でレナの方を睨んでくる。
分厚い氷の奥底だけを眺めていた視線が、逸れた。

▽今だ!!

「怖がりっ! 新しいほうの世界に踏み込んでいくのが怖くって、自分たちの方が強いんだぞって見栄っ張り! 弱い者にしか威張れないなんてどうしようもない怖がり屋ーっ」

『──オマエに言われたくはない!』

「そうですぅ。私は怖がりだし自分一人でつっこんでいける実力も無いから従魔の力を借りてるけど、あなたも同じってことでファイナルアンサー!? あっ言葉が新しいかな、支えてもらってこその存在ってことでオッケー!? 可!? 承認!?」

『──触媒にするだけの話じゃ。儂の本来の力を取り戻すためのな』

「力を借りてるんじゃーん」

『っらあ!!!!』

▽リリーの マッハパンチ!
▽威力は低いけど 金属指サックの尖りが痛い!

『会話の最中に邪魔をするなど……! オマエたちは本当に礼儀がなっとらん!』

赤く腫れた頬を押さえながら、氷の精霊が激しく怒る。
(反対側の腕も氷の中から離れたらよかったのに!)とリリーから舌打ちが漏れた。

「リリーちゃん!? いつそんなことを覚えたの!? あっギルティアの音だったのね……もーー反抗期が来たのかと思っちゃったよ〜また新しい育児のステップに対応しなきゃと思っちゃった〜」
『テヘヘ、驚かせ……ちゃった♡』
『あたしを離せよ』
『儂を無視するな!!』

聖霊が絶叫した。
こんなに無礼な輩は見たことがない。

レナパーティはいつだってそうだ。凍土で暴れる聖霊杯(おそろしいもの)を見たって畏れやしない。今思えばあの頃から随分と狂っていた。聖霊の介入する余地がないのだから、こんなものたちに媚びたところで聖霊の存在が確実になるとは信じられなかった。だから、近寄ってみることをやめた。

『──消えるべきではないのだ、儂は。消えることなどこの世界が望んでいないのだから。ほらごらん、大地に朽ちた亡者たちが千年経った今となっても儂を望んでやまないだろう』

氷の聖霊はぐいっと手の甲で頬の赤みをぬぐうようにする。すると、パキパキと肌の表面が凍りついて赤さは真っ青な色みに上書きされた。

『──千年だぞ。このような土の中でどの者にも注目されず。それでも消えやしなかったのは、儂のような聖霊の必要性を現しておる』

『素直に寂しかったと言えばよいものを』

▽カルメンが 煽りに参加した。

レナの首筋に褐色の腕を絡めて、ふんわりと浮いている。
よっ、とレナを持ち上げて立たせることができるほど、以前に比べると実体化ができている。

そのことに氷の聖霊は目を細めた。しかしあのように従属の立場に成り下がってやる気はない。白炎の聖霊など、記憶をなくしているから片割れの聖霊杯を餌にしているレナパーティに尽くさざるを得ないのだ。

(全く、みっともない)

「ぐぐぐぐるじいっ。カルメンそれ首絞まってる絞まってる……!」
『おお、すまない』

バカにした冷たい鼻息は、刺すような北風と雹になってレナたちに降りそそいだ。
レナがわたわたと大げさに慌ててみせる。

氷の聖霊は、両方の手を引き上げている。それくらいレナたちの方が気になってしまっているのだろう。このようなふざけた者たちなど、という油断もありそうだ。

(隙あり!)
『アッパーーーーーーー!!!!』
『あたしをモーニングスターにするんじゃねえええ!』

モーニングスターとは。棒と棘鉄球を鎖でつないだ、ふりまわして使う打撃武器。
この場においては、蔦の手をつないだままのギルティアをリリーがぶん投げたことを言う。

もふぁっっっっんん、というおかしな音を発して、ギルティアが衝突した。その蕾は何気に硬い。

<従魔:ギルティアのレベルが上がりました!+1>
<スキル[冷気耐性]を取得しました>
<スキル[品種改良]を取得しました>

『キャッおめでとう♡』
『今べつに祝われたってうううう嬉しくなんてないから!』

説明しよう。ギルティアは慣れない感情が昂ぶるすなわち嬉しくなると、赤ちゃんの部分が顔を出しそうになるので必死に自制しているのだ。ポコポコと綿毛が膨らんでこのラビリンスに浮かんでいる。

『そんなことより今はあいつを倒すんだろ!』
<倒しちゃダメですからね?>
『そーだった……!』
<リリーさんたらうっかりさん>
『てへ。……氷の聖霊さま!』

リリーがギルティアをそっと地面に置いて、自らの黒のミニドレスの裾をつまんで礼をした。
ふわりと地上の花の香りが放たれる。
白ばかりの風景で、リリーは確固たる存在感を放っている。

『殴って、痛かったよね? ごめんね。ただ話し合いだけであなたは変わらないと思ったし……ご主人さまが……あんなに話しかけたのに、歩み寄れなかった、から。私は、もっと、お話がヘタっぴだから。……語るなら拳じゃないとだめだなって。……痛いってことは、存在しているってことだよ? ね? 改心しよ?』

<話の流れがあまりにも……ナイス煽りといいますか……>

『──よくも!』

びたん!!と氷の床に打ち付けられていた聖霊が、ギリギリと歯を噛み締めながらリリーを睨む。
せっかく束ねた髪もまたバラバラに解けてしまった。これでは信者たちが自分を見つけられないかもしれないと、手間にはなるが風で髪を束ねて銀のリングで後ろにひとまとめにした。

(──この半透明の体が憎い。透ければスムーズに太古の地下に潜ることができたし、元のように存在が認められていたならとうに力を取り戻して、凍土を畏れで満たせたはずであるのに。……認められて? 誰に?)

ごううううううう! と吹雪が吹き荒れた。
氷の聖霊の心臓が底冷えしていく。聖霊の心臓は臓器ではない。核だ。レナが持っている聖霊杯だ。

「っつう……!」

時間稼ぎと聖霊を油断させるためにひょうきんな踊りを踊っていたレナが、腰のあたりを押さえた。
ポシェットを中心に、下半身が凍り始めている。

カルメンが癒そうとした。
白炎を燃やしかけて、レナのマントの裾がチリリと燃えてしまい、ハッとする。力はあれど使いこなせない。力の制御のほうは片割れが行なっていたと、思い出した。わずかにその懐かしい姿が頭をよぎった。

(それどころじゃない。今、我の司祭が……)

カルメンの心臓が熱く燃えて、外にいるクレハが「あちち!」と|緋々色黄金(ヒヒイロカネ)を散らした。

レナがなんとかポシェットから氷の聖霊杯を取り出すと、カルメンが即座にはたき落とす。

しゃがんだレナを、カルメンがただただ抱きしめていたら、凍りつきの状態異常はすんなりと溶けた。

「ありがとうね、カルメン」
『うむ……』

レナたちの体の下に隠されるようにある氷の聖霊杯。
奪われるようなことはないだろう、でもどうやって再び持とうか、もしくは譲渡の交渉をしようか(あっちに聞く耳がなさすぎるなあもう!)とレナが俯くと、黒ずんだ頭がにょっきりと氷の床から生えていた。スカートの下くらいにいる。

「っぎゃーーー覗き魔!?」

ずずずず、と黒の頭が沈むとともに、辺りには氷の聖霊杯が”ない”ことに気づく。
やられた!

聖霊が、ニヤリと笑っている。

足元には黒ずんだ亡者の亡骸をはべらせて、手には氷の聖霊杯を持って。
勝ちを確信したような顔というよりは、やっと安心したような感情がにじみ出ている表情であった。

レナたちに何か言おうとして、しかし、氷の聖霊は口をつぐんだ。

それよりも自らに群がって黒い手を伸ばしてくる、亡骸の方がいやだったのだ。

『儂に触れることなど許さぬ。──やめろ、なにをするっ!?』

黒の腕が聖霊を掴んだ。足首、膝、バキバキと氷が軋むような音がする。

百もの腕がぬらりべとりと聖霊を掴むと、ヘドロで再生したままの穢れた顔をぐいぐいと擦りつけた。何かを言いたくてもそのための喉の働きはとうに朽ちていて、察してくれとばかりにぽっかり空いた口を擦り付けるだけ。

ぞぞぞぞ、と聖霊が肌を凍らせると、その氷を得ようとした。
力のあるほうが生贄を望んでよい、太古の凍土の懐かしき土地柄であったのだ。

そのまま呼び起こしてしまった、氷の聖霊の敗北であった。

『昔の方がよかったなどと、安易に言えないものだなあ……』

カルメンがいやにニヒルな物言いをして、熱っぽいため息を吐く。

『アレをどうする? レナ様よ』
「助けたいよ。上手くできるかなって考えているところ。ゾンビでしょ、穢れでしょ、でも聖霊杯を壊すつもりはなさそうでむしろ核にしてるようだから……あれをゾンビが守るっていうなら、わりとがんがん攻撃できそうだよね」
『助けるのか。困難だろうに』
「でも、できそうだから」
『できなさそうだったら諦めたか?』
「うん。私が死んでしまったら、従魔のみんなが困るでしょう。それは一番だめ。ご主人様っていうのはね、ささえてくれる従者のためにいつだって……。……ちょっと悩むなあ。いつだって元気でいたいけど病気になることもあるし、立派でありたいけど情けないところもないと従魔が必要じゃなくなるし……」
『そこで悩むのか』
「ちょっとうまいこと変換してみる」

レナが立ち上がって、胸に手を当てる。

「称号[お姉様][赤の女王様(極み)]セット。…………ささえてくれる信者たちをまとめて信じられること、異なる心情を受け止め続けてもなお主人自身は揺らがないこと。深く愛すること。それがご主人様の在り方でしてよ!」
『現代はそのようなものが”とれんど”なのだな』

うむうむ、とカルメンが深く頷く。
心にピンときたようだ。

『おそらく今時の上に立つ者はそうなのだろう。あやつに分からせるか?』
「すでに思い知っているでしょうけれどね」

亡者の怨念がこびりついた亡骸が寄ってたかって氷の聖霊を埋もれさせている。どのような心地でいるのか、想像することしかできなくてもレナには一つだけわかった。とても怖いはずだ。

黒の小山のようになっている聖霊がいた場所から、リリーとギルティアが飛んで逃げてくる。
どんどんと怨念が湧き出してきてその数は千にものぼり、山脈を拡大しているのでリリーたちの足元にまで穢れが迫ってきていたのだ。

従魔たちを、レナが両手をひろげて受け止める。
せっかくなのでひと撫でした。
可愛い。

『ふあああ〜〜……』
「あら、ちょうどよかったわハマル」
『レナ女王様わあい従えてーーー!! あとねー、サディストにもなってくれていいんですよー?』
「ではそれはご褒美にしましょう。支度できたみたいでよかったわ」
『レナ様たちが時間稼ぎしてくれてたからー、いっぱい眠れましたものー』
「あの子を絆したいの。協力して頂戴?」
『はあい。ではではー』

眠りながらラビリンスを理解していたハマルがむくむくと大きくなって、こちらもモフモフの小山のようになる。
くああ、とあくびをするように大口を開いた。

『白夜のなかで眠るおしたくはいいですねー? そのものたち夢へと誘いー、本来の心をあらわにせよー。スキル[快眠][|夢の世界(ドリームワールド)]』

▽ラビリンスが眠りについた。

 

 

 

 

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