267:チョココ♪バレンタインデー8

 

──温泉。

三つの人影がほんわりと湯気に包まれている。
やわらかい湯の香りには、ラミアの里産の柚子と香草のにおいも混ざる。

フッと冷たい息をはいて、湯気の形を変えるあそびも、彼女たちにはお手のもの。

「いい湯やねぇ」
「いい湯なのじゃ〜」

キサとレーヴェが惚れ惚れと、湯に映る美しい自分の顔を見つめた。

それからお互い目を合わせて、やれ肌が綺麗だとか、髪が艶やかとか、整った容姿を褒めちぎる。きらびやかな女子会。

(き、気まずいぃ……)

マイラがぶくぶくとお湯の中に顔の下半分を漬ける。

(私、このまま温泉に溶けてしまえばいいのに〜……。仕事の疲れを癒しにいこうってお誘い、乗るんじゃなかったぁ……)

執務室にやってきたキサは、アリスと化粧品の商談を済ませた。ラミアの里周辺には美容によい薬草や苔がたくさんあり、プレミアム販売の算段をしたのだ。

それからメイド仕事を終えたマイラを、温泉に誘った。

じとり、と前髪の隙間から、美しいラミアたちを眺めるマイラ。

(昔、レストランに飾ってあった絵画の美人よりも、はるかにきれーい……)

それに比べて私は……と俯く。
痩せっぽちの体に灰色の髪、ギョロリとした目、コンプレックスの塊だ。胸のうちに暗いものがモヤモヤ溢れてきて、石が乗せられたように肩が重くなる。

(……虚無ぅ……)

「「っあーーー!」」
「はわっ!?」

ついに鼻先まで沈みかけていたマイラは、驚いた拍子に鼻の穴からめいっぱいお湯を吸い込んでしまった。
痛い!
ゲホゲホと必死に咳をする。

その背中に、なめらかな手が触れて撫でた。

「ああもう、大丈夫? 驚かしたんは悪かったわぁ……」
「しかしじゃな、マイラ! そのように髪を温泉にだらっと漬けるのは良くないのじゃ〜。髪が熱されすぎて表面がガサガサになる、つまり傷んでしまうのじゃ」

どうやらマイラの髪を心配したようだ。

(そんなの、どうだっていいですよぅ……)

「「そんなのどうだっていいって顔してる」」
「うっ」

「アカンで! 女の子が自分を大事にしやんのは、ウチは一番許せんのよ。あなたの髪が泣いてる、大事にしてあげなさい」
「むむー。リリーやシュシュでもお手入れに関心はあるというのに、マイラはなぜ無関心なのじゃ?」

キサが探るように覗き込んでくるので、マイラは怯えた。
ぐらぐらと眼球が揺れて、眼窩から転げおちそうになる。
見たくない。
見たくない。
綺麗すぎる。
あの目に映りたくない。

(この綺麗な人は……蝶よ花よと愛されて育っていて、そんなものとは無縁だった私たちの生活なんて……想像もできないのよ、きっと……)

キサからは特にそんな印象を受けていた。

愛されることや美しくあることは「当たり前の権利」なので、堂々と勧めてくる。
求めないのはなぜか、と聞いてくる。

さきほど故郷の族長・レーヴェと再会した時の仲睦まじい様子から、その恵まれた背景を、マイラは確信していたのだ。

(……あああ、だめだめ、胸がズキズキ……! 虚無、虚無、虚無っ……!)

マイラの心音がぴたっと停止して──それとともに表情が抜け落ちた。
静まりから四秒経過、また動き始める。

キサは返事を待っていたが、あまりにマイラが黙ってうつむいたままなので、途方にくれてレーヴェを見上げた。

「こら。勝手に無関心って決めつけるのはあかんのよ」
「レーヴェこそ、美しさは正義って価値観で話しすぎなのじゃ」
「あら……そうやろか?」
「うん。レナ様たちと過ごしているとな、人によって大事なものは色々違って、優先順位も変わるのだと知っ……」
「えらいやないの〜! ああんもう、ウチの知らんうちにおっきくなったんやねぇ〜!」

レーヴェがキサをがばっと抱きしめる。
バシャバシャとラミアの尾が跳ねて、温泉の湯を散らした。

「わっぷ! むぅ……昔のようにからかわれるのも、ちょっと照れるのじゃ……嬉しさもあるけどじゃな? うん……えへ……」
「育ったんはカラダだけやないんねぇ」

むにむにと胸が揉まれる。
ぺしんとキサがレーヴェの頬を叩いた。

「マイラのこと話している途中!」
「そうやね」

びっしょりとお湯を被ったマイラは、うっすら微笑みを浮かべたまま硬直していた。

▽虚無……虚無、虚無、虚無…………おっぱいがおっきい!!

(顔上げるんじゃなかった!! なんだその胸部!?)

しばらくはクーイズとレナ、ミディというメンバーでお風呂に入っていたので、マイラは、空気を読まないほどおっきいおっぱいの存在を知らなかった。

(……削いだら脂肪かなぁ……レストランの霜降りより柔らかそう……)

▽不穏なイートミィはやめましょう。
▽マイラの[虚無]
▽錯乱が治った。

「レナ様みたいに上手にお話ができればいいのじゃが……レーヴェ〜」
「ウチも話は得意やで? ただしなぁ、レナお嬢さんの場合は、従魔と魂が繋がっとるやろう。敵わんよ、それは」

だからみんな安心してレナの側に居られるのだ。
本能でまず信じられるから。

「マイラさん? あんね……」

レーヴェがゆったりと話し始める。
(負けてたまるか年の功)と、マイラにきちんと話をしてみせるようだ。

「ウチらが言いたいんは、安心して愛されなさい。自分は大事な存在なんやって認めてあげて、ってことなんよ」
「……」

▽マイラはうっすらと微笑んでいる。

「……この手、ね」

レーヴェはマイラの手を取った。
手首から指先にかけて、丁寧に撫でる。
皮が薄くて繊細なレーヴェの指の腹は、チクチクと痛んだ。形のいい眉根が寄る。

「皮がささくれとるん、分かる? 関節のところはひび割れやね。爪は噛んでボロボロ。……レナさんが台所のお仕事を手袋付きでやらせるはずや」

ピク、とマイラはレナの名前に反応する。

「でもね、あなたは……いつも給仕の後、わざわざ素手で洗い物してるって聞いたわ。わざと自分を痛めつけるみたいに。やからね今日、姫……キサさんはここに誘ったんよ……あなたが大事にされるために」

価値観の押し付けやけどまあ堪忍ね、とレーヴェは羽のように柔らかい声で言う。
おそろしく軽やかに耳に入って、心にまで届いた。

マイラの目の焦点が整う。
前髪の向こう側から、絵画の世界が迫ってこようとしている。

同じところに居たくない。
無意識に後ずさろうとしてしまう。

「お待ち」

爪を噛もうとした手を、レーヴェが包む。
きらめく青緑色の鱗を手のひらにおいて、温泉水でふやかすと、ハケのように手の全体をなぞっていった。
手首から先が血色のいい白色になり、ささくれもなくなっている。

「大事にされたらいいんよ」
「……虚無です」
「きょむ?」
「ああマイラのスキル」

キサがポンと手を打つ。
ははぁん、とレーヴェが目を細めた。

「なるほどね。じゃあ質問を変えましょう。いじわるなお姉さんにちょおっとイタズラされる気はない?」
「虚無です……え?」
「ない? って質問に、ないです。ってお返事。つまりはアリやね? さあ行こか」
「ず、ずるい」
「ずるくていじわるなお姉さんやって言うたやないの」

レーヴェはマイラをひょいと抱えて、シュルシュルと滑るように蛇の尾で歩き、シャワーの前へ。椅子に座らせた。

いつもは曇った鏡を冷風で明るくするのが大好きだが、今日はそのままにしておく。マイラが騒ぐだろうから。

「はーい、動かない」
「ひえっ……そんなそんなっ、尾……とぐろ巻くなんて! 虚無ですぅ……」
「あーまたそんな表情になって。現実逃避しちゃって。……まあね、無表情やとシワはできにくいよ? でも笑ったときにできる目尻のシワは、男でも女でも、幸せを呼び寄せるなによりのお化粧なんやで」

マイラがちぢこまっているのをいいことに、レーヴェは鼻歌を歌いながら、体に触れて洗っていく。

ラミアの鱗を使った贅沢なマッサージだ。
肌が蘇るかのように潤う。

「スライムジェル、最新改良版じゃ」
「なんやて!?」
「ふっふーん。アリスとたくさん研究してな、レーヴェに今日見せるつもりだったのじゃ。……あの……」
「ええよ、先にマイラさんに使ってあげなさい」

レーヴェの声の優しさに、マイラの虚無なはずの心がキュンとする。

キサは嬉しそうに「ありがとう」と言うと、紫ジェルを両手に広げた。
フワンとラベンダーの香りが漂う。

「マイラ、トリートメントじゃ」
「??……えっと……はい」

トリートメントがなんなのか、知らなかったが、さっきみたいに虚無と答えて逆にいじわるされるかもしれないので、マイラは素直に頷いた。

身じろぎすると、絡みついていたラミアの尾のしめつけがゆるくなり、光の加減で色を変えるあまりの芸術に見惚れてしまう。
逃げるタイミングは逃してしまって、キサの手が髪をここちよく梳いた。

マイラの灰色の髪は、きちんとキューティクルが整えば、淡いピンク色の美しいグラデーションカラーである。

途中、マイラがぐっと唇を噛んだ時。
[虚無]スキルを使ったのだろう。
ピンク色が薄くなり、灰色にくすんだ。

(ああ、心を保つために代償を払っているのか……自分を傷つける癖がついてしまって……)

ボロボロの原石を、キサはまた丁寧に磨いていく。
髪は再び、薄桃色になった。
レーヴェが撫でた頬も、ほわっと色づいて可愛らしい。

(素敵! ええやないの)
(満足。でもこの状態を受け入れてもらえるかのぅ……)

美しくなった姿を喜ばない女の子はいない、とレーヴェとキサは信じていたが、先ほどまたマイラが虚無ったことで、心の傷は深いのだろう……と知った。

どうしたって後手になるのは、ふたりともがラミアの幸せな箱庭で育ったゆえ。想像力が至らないのだ。

((なにか幸せを底上げしてくれるものがあれば……))

マイラが、湯気の形をふっと眺めた。
白くてふわふわの生クリーム。
さっき執務室で食べたチョコレートパフェが思い出される。

口の中に、チョコレートの後味が蘇るかのようだ。

▽まだまだ続くよ!

 

 

 

 

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