265:チョココ♪バレンタインデー6

──キッチン。

レナとアグリスタ、眠るチョココ。

レナがかしゃかしゃと泡立て器を使ってホイップを作り、アグリスタは皿を拭く。
穏やかな時間が流れている。

(今、マイラはいないし……ジレもいないしぃ……でもチョココがいるから、なんとかぁ……)

アグリスタのしょんぼりしていた馬耳が、ふわりと持ち上がる。
自分が人を不幸にしてしまわない保証が、こんなにも安心するなんて。

今、赤ずきんのフードを頭の後ろにやって、その中にチョココがおさまっている。
チョコレートの匂いが香って、ホッと肩の力を抜くと、さらされている紫髪がさらりと揺れた。

前髪ごしに、ちらりとレナを窺い見るアグリスタ。

レナは手元に集中している。
レナが、アグリスタをじーっと見ていることは実は少なくて、従来ならばそれを「目を合わせたくない」と考えるところだが……

(ボクが怖がらないようにって、そう思ってる。そんな心が、分かるよぅ……)

少し距離はあっても、レナは隣にいるのだ。
従魔契約が訴えてくる。
主人は安全、安心、従魔を大事にするよと。

甘い夢みたいに。

(そういうのにもう一度すがるの、怖い、けどぉ……。……ボクらには、拒否権がないですし)

そういうものを与えないでね、とアグリスタは願う。
こわがりの拒否権を、自分を傷つけるために使ってしまうだろうから。

ここにいるために。
今はただ従えてほしい。

首を前に傾けると、ごつい首輪が喉を圧迫した。
この息苦しさと、のしかかる重みが、救いになっているとは皮肉である。

「アグリスタ? 前髪がお皿についてるよ……」
「はわっ!?」

俯きすぎて、前髪のはしっこがお皿に乗っかっている。
これではイートミィである。

「ご、ごめんなさいっ」
「軽くすすいで、また拭いてくれたらいいから。旅の途中なら気にしないくらいだけど、今は室内だから、まあ衛生に気を使ってもいいのかな〜って」

レナは軽く言って、ほのかに笑い、またアグリスタからそっと視線をそらす。

アグリスタは静かに、気をつけてお皿をすすいで、綿のふきんで拭いた。
白地に金の縁取りがある皿は、きっと高価だろう。
落としたら? それでも、レナは叱らないのかもしれないけれど。

(落としちゃだめ。落としちゃだめ。〜〜〜〜!)

してはいけない、という縛りが呪いになって、アグリスタの頭の中は「失敗してしまった時の想像」でいっぱいになる。
そうすると、きっと……

▽チョココが 寝返りをした。
▽首筋がヌルリとあったかい!

「ヒャアア!?」

パリン! と……床で破裂音。
皿が割れて、破片が飛び散った。

「アグリスタ!」

叫ぶように名前を呼ばれると、ビクッと肩が跳ねて、尻尾が逆立つ。
ブワッと涙が滲む。

「怪我はない!?」
「……ない、です」
「それなら良かった。よし、次、気をつけようね」

レナがアグリスタの手を取り、まじまじと見ている。それから足元を確認して、顔を真正面から見た。

こんなにまっすぐに眺められたのは、このお屋敷にきてすぐの自己紹介のとき以来だ。

黒い瞳は奥が深くて、その深みはレナの人間性の複雑さのようにアグリスタは感じた。
きっといろんな気持ちが収まっていて、あたたかい部分のみがいつも表に現れているのだ。
それはレナの優しさであり、強い意志なのだろう。

「アグリスタ」
「……はい」
「危なかったけど、お皿を拭くのがまだできないとは思わないよ。チョココが寝返りしちゃってビックリしたのは分かるし、これまで三度頼んだときは割らなかったし。水分を拭くのもだんだん上手になってる。だから、これからもよろしくね」

一番ほしい言葉をくれた。

(どうしてわかるんだろう?)

ちょっとキツイ一矢が欲しかったんだって。
まだここで成長しなさいね、という束縛の約束を、アグリスタが望んでいるんだって。

「こら、チョココ〜」

レナは赤フードで居眠りしているチョココをつまんでいる。もちーんとチョコレートボディが伸びている。

(偶然なのかな、ボクにその言葉をくれたこと。……あ)

「なにか言ってくれそう? 聞くよー?」
「う!? ジーッと見ちゃってごめんなさい……」
「あはは、いいよ。綺麗な緑の目だね」

(綺麗? 綺麗? 綺麗??)

アグリスタは気絶しそうに驚いた。
草の色、森の色、オーロラ、エメラルド……とレナが指折り数えていくものの美しい例えに恐れおののいて、パチリとまばたきすると「緑が深くなった。お抹茶!」とよくわからないシメをされて、やっと緊張が解ける。

「嫉妬、って言われました……」
「嫉妬?」
「緑の目は、嫉妬を表す卑屈な……ものだって……」

アグリスタがカクンと俯いて、目を隠し、首の圧迫感に酔う。
無意識に、首にかけられた縄を指先でいじっていた。

「……私、その常識は聞いたことがないけどなぁ……」
「えっと。一角の馬たちは、そう言ってて……緑の目をした嫉妬心とか、緑目玉の異形の化け物が昔はいたとかぁ……? ボクも勉強してなくて……言われたことしかわからなくてごめんなさい……でも、あってると思います。ボクは、卑屈ですからぁ……」
「大丈夫。概念を変えよう」
「概念を?」

聞き間違いか? とアグリスタが顔を上げたが、レナは真剣な目をしている。
黒の深みにのみこまれそうだ。
黒魔法の魅了かと思うほどに。

「あなたが生きにくくなるなら、その情報は忘れてしまってもいい。卑屈な自分が目標じゃないでしょう? そんなに耳を伏せさせて……。緑の目の意味は、アグリスタが考えてもいいんだよ」
「……っムリですぅぅ!」

ここで突き放さないで!? と、アグリスタは激しく頭を振った。
するとおそろしいほどの恐怖心が、ぶわっと湧き上がってくる。
膝が震えた。

「じゃあ一緒に考えよっか?」

破片が散らかった床に倒れたら大変! と、レナがアグリスタを抱きしめた。
いつもより強く。
冷や汗をかきながらも、安心させるような笑顔で。

アグリスタは硬直していたので、レナの手を振りほどかなかった。

その間に、キッチンの隅に隠れていたルージュがそっと指示をして、影の魔物たちに破片を片付けさせる。
それから、ふっとばされたチョココをルージュは大事に抱いて『見ていますわ』とレナに手を振った。
(あなたの手腕を見ていますわ)と言われているようで、レナは苦笑した。

「緑は草の色、森の色……あ、生命の色? ピンときた!」
「ピンと……」
「私って、運[測定不能]のステータスだからなのか、ピンとくる瞬間があるの」

例えば、チョココがなんとなく『今あのひとに必要なお菓子はこれかな〜!』と思いついたように。
レナの幸運は強いのだ。

「ってことは、アグリスタも気にいるフレーズなのかなって思ったんだけど?」
「生命……」

アグリスタは唇を噛み締めている。
(どうしてわかるんだろう。一番欲しい言葉……)

ずっと誰かを傷つけるだけだった。
だから慈しむような力に憧れていた。
類似種族のユニコーンの癒しの力を、嫉妬の気持ちで眺めていたように。

でももう、嫉妬の緑から変わってもいいのだという。
与えられた。

(運、なの?)

それ以上に、レナはアグリスタのことを丁寧に見ていたのだろう。だから閃いたし、ピンときた。

思いやりがなければこんなに綺麗な表現は出てこないよね……と、アグリスタはそんな風に自惚(うぬぼ)れた。

顔が真っ赤になっていることを自覚しながら、アグリスタは思いきって、顔を上げる。

「それに、します……ね……」
「うん! 目が潤んでてね、朝露がのった葉っぱみたいに綺麗。生命力を感じるよー?」
「ひゃい……」

かああっと赤らんだ顔を、アグリスタが服の袖で覆って隠す。

その隙間から、チラチラと緑の瞳が覗く。

(う!)

キュン! とレナの従魔尊いラブスイッチが入る。
▽我慢!

心の奥底が震えた。
アグリスタと目を合わせてしまったゆえに。
ぎ、と奥歯を噛む。

「……あ」

レナの繊細な変化に、アグリスタは気づく。

「ごめんなさいぃレナ様……あの……ネガティブオーラ、感染(うつ)る、みたいでっ」
「あのねアグリスタ」

レナはいつもより重い口を開く。

「私にも弱いところがあって」
「え」
「自分じゃわからなかったような深い部分がね」
「う」
「あなたに教えてもらえてよかった……!」

アグリスタが目を見開いた。
普段は伏し目がちな瞳にいっぱい光が入ってきて、キラキラする。

「ありがとう! また強くなれるよ」
「またぁ!? ……あ、ごめっ」
「うん、また。みんなのこと守れるように、ご主人様だって強くないとね!」

レナは、にかっと笑ってみせた。

自分の弱い部分と向き合って、それをどう克服しようかとルーカたちと相談している最中だというのだ。

(なんてつよいの)

嫉妬はいいところを見つけられる力であり。
憧れることで自らを高められる。
そのようにアグリスタが贈り言葉をもらうのは、もう少し先、進化を迎える頃であろう。
▽何事もタイミングがあるのだ。

「あ、チョココ……」
『はい』

ルージュからチョココを手渡されたアグリスタは、すうーっと香りを吸い込んだ。
チョコレートが幸せな気持ちをくれる。

「あ。レナ様も……嗅ぎますか?」
「か、嗅ぐぅ」

レナは面白くなってクスクス笑いながら、チョココを受け取った。
今日はバレンタインデー。
好きな人に感謝を伝える幸せな日だ。

二人は意識していなくても、ルージュがにっこりと笑っている。

レナはうずうずと、撫でたい気持ちをずっと我慢している。
健康的に柔らかくなった紫髪が、ふわふわとレナを誘惑してくるのだ。
▽無理。

「あ、あのね〜……アグリスタ。ちょーっと、頭を撫でても良かったりする?」
「ふぁ!? おおせのあままっ……まま、です、はいぃ」
「じゃあすこしだけ」

レナがぽふんと手のひらを乗せて、ゆっくり頭を撫でた。
紫髪が艶をはなつ。

(馬耳やおでこの一角は敏感なはずだから、まだ触らないように気をつけて〜。ふわっふわ!)

ほわ、とアグリスタが熱い息を吐く。

「さて、お皿拭き、引き続きよろしくお願いします」
「……はい」

再び、穏やかな時間が流れ始めた。

ボウルいっぱいのマヨネーズが作られた。
それから野菜、ウインナー、マカロニを茹でる。

甘いものを食べた口直しにと、しょっぱめの軽食を作っているのだとレナは言う。

デザートとメインディッシュの順番があべこべだねー、と朗らかな笑い声があがった。

 

 

 

 

 

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