101:訪問者2

静かに怒りのオーラを放出する美しい淫魔ネレネを、レナが冷や汗を流しながら微妙な笑顔で眺めている。
そして視線を移すと、魔王の息子オズワルドが尻尾に鼻先をうずめながら、ジロッとレナを上目遣いに見上げてきた。
どうしたものかと肩を下げる。
怒れる先輩従魔たちはルーカが「どうどう」とひとまず抑えてくれていた。
彼も無表情なのが心配すぎる。

ふと、ネレネが部屋の扉を見つめた。
ルーカが目を細めて彼女と同じ方向を視る。

獣たちの耳にも、足音など聞こえてこない…………しかし、ドアはコンコンコンと律儀にも全く同じテンポでノックされた。
ふぅ、と吐息を漏らしたネレネが立ち上がる。
ドアが数センチだけ開けられた。

まるでそこにふっと具現化したかのように、男性の足先が覗く。

「私は急いでいるので、ゆっくりした動作は改善して頂きたい。ネレネ・ルージュ」

神経質そうな声。
扉をそぉーーーっと開けた優雅な動作が気に食わなかったようだ。
家名を含めて呼ばれたネレネは、余裕のある表情を崩さない。

「あら……そんなことを仰らずに。
ここはお客様が心地よくリラックスして過ごす淫魔のお宿♡ですもの。
オーナーがせかせかと動いていては、お客様にくつろいで頂けないのです。
ご了承くださいませ。宰相様。
お話なさいませんこと? お互いにとって必要な事を」

「分かりました、伺いましょう。しかし魔王ドグマ様を捕縛することが最優先事項です」

魔王のやらかした後始末に慣れている宰相の返答は素早かった。
息つく間もなく承認、そして自分の優先事項をさらりと口にして暗に「後でな」と告げている。

「もうお帰りですわ。今頃はもう、かなり遠ざかっているかしら」

「…………」

「私のコウモリに後を追わせています」

「ご苦労様です。探索用の最後の朱蜘蛛は、ここで潰されたようですからね。
それでは、魔王様の足どりがきちんと掴めるということで、まずそちらの報告を伺いましょう。
……入室しても?」

「ええ。宰相様の朱蜘蛛に気付くなんて、魔王様はまたお強くなられましたわねぇ」

「大 変 喜 ば し い で す」

ネレネがしれっと朱蜘蛛潰しを魔王になすりつけて、ついでにわっしょいしてみせると、宰相は地を這うような低い声で、絞り出すように賛辞を述べた。
普段から苦労させられているのがよく分かる。

話し合いの約束がされたため、ようやく客室扉が開けられた。
今まで宰相は廊下待機だったのだ。
高級お宿♡のオーナー、やりよる。

極寒の吹雪が吹き荒れるやり取りに、レナの胃がキリキリ痛んできていた……。

ーーシヴァガン王国の宰相”影蜘蛛”の男性がようやく姿を現す。

風貌は青年から中年になりかけ、といった辺りに見える、とレナは感じた。
絶対零度と言えそうな鋭い眼差しを少し怖く感じて、こわごわ会釈をする。
宰相からはお手本のような15度の会釈が返された。

魔人族は種族によって寿命がかなり異なるので、加齢の速度はヒト族のように一定ではなく、実年齢など想像もつかない。
宰相という職業に就くには若すぎる見た目だが、古めかしい伝統貴族服がしっくりとこの者の雰囲気と馴染んでいて、ベテランといったオーラを醸している。

ストレートの朱色の髪を首の後ろで一筋の乱れもなく結んでおり、瞳は青。
額に、蜘蛛の赤い目が点々と具現化していた。
くもり一つないメガネをかけて、いかにも仕事がデキる文官といった印象だ。
驚くほど表情が浮かんでいない顔は、もはや鉄面皮と呼ぶにふさわしい。

魔王の息の詰まるようだった覇気とは真逆に、この宰相は、姿を視界に捉えていなければ存在を忘れてしまいそうなほど、気配を完璧に消している。
先ほどとの負担の格差が酷すぎて、これはこれで逆に疲れてしまう。

宰相の姿を確認すると、オズワルドはわずかに目を見開いたが、ぷいっと視線をそらしてしまった。
魔王ドグマの姿が見えず、にもかかわらずオズワルドが魔物使いと共にいることで大体の事情を予想し、宰相は眉間に深いシワを刻む。

「宰相様の表情を崩すことができるのは、この世界に2人だけですわね。魔王様と娘さんと」

「私の顔などどうでもいい」

そう、問題はあの若造魔王がやらかした内容である。
ネレネにぶっきらぼうに返答した宰相は、背筋をピンと伸ばしてレナに向き直った。
レナが慌てて椅子から立ち上がり、ピシッと気をつけする。

「肩の力を抜いて構いません。国の名を持っての正式な訪問ではありませんから。どうぞ楽に」

「あ、いえ……つい。お気遣いありがとうございます」

無茶をいうな、とレナの引きつった笑顔が告げていた。

「そうですか。どうしても緊張してしまう、と。
でしたら、少しの間だけ我慢していて下さい。すぐに会談を終わらせましょう」

表情を読むな。
レナはもう黙って一礼して、一歩後ろに下がった。

「まず物理的な被害報告を。ネレネ・ルージュ」

宰相が腰に下げていたポーチから、魔法の万年筆と公式記録メモ用紙を取り出した。

「はい。勢いよく玄関扉が開けられたせいで、ダメージ身代わりの魔道具がひとつ壊れました。
あとは、魔王様が座った”ルネリアナ・ロマンス社”製の高級椅子の傷みの修復を望みます。乱暴なのですもの。
そして土足で踏まれた窓枠の掃除を、貴方様に」

ネレネの言葉をとんでもない速度で書き記していく宰相。
よりにもよって超高級家具メーカーの椅子の修復要請、それから掃除を宰相本人に贈られたところで一瞬筆が止まりそうになったが、魔法の万年筆はスラスラと紙の上を走り続けた。
筆圧も一定だ。
もし普通の万年筆を使っていたら、ペン先がぐしゃっと潰れて、インクが飛び散っていたことだろう。
魔力を少し込めて、記録完了、と書き込むと紙に魔王国の紋章が浮かび上がり、メモ内容が正式な文書として承認された。

「ルネリアナ・ロマンス社の椅子ですか……この部屋の家具は全て、有名なロマンスシリーズで統一されているようですね。
このような部屋に連泊できるほどの人物とは。
恐れ入りました、魔物使いの藤堂レナ様」

「えっ!?」

宰相の男性に急に名前を呼ばれたレナは困ったようにネレネを眺めた。
毎日ふつーに使っていた家具一式が、宰相も一言嫌味を添えるほどの高級品……!?

「ルルゥお姉様のとっておきのお気に入りの子ですもの。サービス♡です。
そんないじわるを言わないであげて下さいませ、宰相様。
安心してね、レナさん。
この部屋の家具には全て強度増しの魔法がかけられているから、少しはしゃいだくらいでは傷ひとつ付かないの。
ただ、魔王様は触れたものの魔法効果を無効にする装飾品を身につけていらっしゃるから。椅子は魔法で補強されない状態で荒っぽく扱われて、傷んでしまったということなのよ。
毒や呪具から御身を守るために必要なことなのだけど……ご本人には、もう少し周囲への影響を気にして行動して頂きたいわ……」

ネレネのきつめの流し目が「教育・管理不足だ」と告げている。

宰相は「私も同感です」と発言への返答をするだけに留めて、窓枠へ視線を向けた。

言っておくが、宰相とて魔王ドグマへの常識教育などの努力はしている。
周囲がドン引きするほどクドクドクドクドクドクドと執拗に。
現魔王が赴任してすぐの頃など、隙があれば装飾の多い貴族服を脱ぎ去り、椅子ではなく床に腰を据えていたのだ。
それが今ではきっちりシャツの第一ボタンまでとめて、椅子を使い、文明的になっている辺り、宰相の努力はなかなか大した成果を上げていた。

しかしまだまだ、非常識な部分が多すぎる。
魔王への教育(サポート)は、代々宰相を担う影蜘蛛一族の栄誉にして、悩みの種なのだった。

「掃除を行いましょう。緑魔法[パーフェクト・クリーン]!」

このスキルは、現在の宰相が魔王ドグマに付くようになってから取得したもの。
いつも後始末ご苦労様、である。

緑色のまばゆい光が室内に満ちて、カッと一瞬強くかがやく。
すると、窓枠も含めた室内はホコリ一つなくキレイに清掃されていた。

「まあ。素晴らしいです。たまに清掃にいらして頂きたいくらい」

「雑談をする気はありませんよ。ネレネ・ルージュ」

「でもね、魔王様がまたオズワルドに会いにいらっしゃるそうなの。何度も」

「……事情を伺います」

宰相の顔に影が差し、無表情に凄みが増して、声がワントーン低くなった。

「魔物使いの藤堂レナ様」

(こ、ここにきて。私が事情を説明するってことぉ……!?)

よりにもよって不機嫌顔の宰相を相手にしなければならないようだ。
レナが内心頭を抱えている。
従魔たちが僅かに身を乗り出す。

宰相はチラリとオズワルドに目を向けてから、レナたちに深く頭を下げてみせた。

「この度は我が国の王が、大変なご迷惑をおかけいたしました事を深くお詫び申し上げます。
本人がこの場にいないため、シヴァガン王国政府を代表して、宰相のサディス・シュレイゼが謝罪いたします。
何卒ご容赦下さいませ……」

「あっ……魔物使いの藤堂レナです。初めまして。
そ、そんなに頭を下げて頂くと心苦しいのですが……」

「寛大なお言葉、感謝申し上げます。
それでは、ここで起こった出来事についてお聞かせ願いたく」

(うわぁ…………)

謝罪は演出だった、とは思わないが、切り替えの早い人物である。
ここまで明確に「魔王の粗相」だと言ったのは、公式訪問ではないからだろう。

話の切り返しがどことなく魔王ドグマを思い出させる。
長く一緒にいる相手の影響を受けるものだし、このような話し方をしていたのは魔王が先か宰相が先なのか……とレナが遠い目で一瞬考えると、宰相の眉間のシワが深くなった。
だから表情を読むんじゃない!

レナは諦めて、順番に説明していくことにした。
蛇足的な話は好まれないだろうから、簡潔に、詳細は求められた時にだけ補足していくことにする。

「魔王様が私にお求めになったのは、オズワルドくんの教育です。
私では確実な成長を保証しかねるため、お断りのお返事をしたのですが、オズワルドくんが[逆契約]を発動させたので、彼を受け入れる決断をしました。
今、オズワルドくんは私の従魔という立場です」

「…………なるほど…………藤堂レナ様は、今の状況に納得なさっていますか?」

言いにくい事を聞いてくれるな、とレナが苦笑する。

「……まだ、戸惑いの気持ちはあります。
とても急なご提案でしたから。
でもこうしてオズワルドくんを従魔として迎えたからには、私ができる限り、この子が幸せに過ごせるよう手を尽くしたいと思っています。愛情を持って接しますよ」

「そうですか。ロベルトから報告は受けていましたが、貴方が心優しい人物で安心しました。
ドグマ様とオズワルドは相手の人となりを視極める実力があります。本能的にも。
おそらく、今のような言葉を言ってくれる人物だと視通して行動したのでしょう」

「(しまったぁー……)こ、光栄です」

「無理に社交辞令を口にしなくてもかまいません。
ここは正式な会談の場ではなく、私は装飾言葉がないからと気分を悪くすることもございませんから。
再度申し上げますが、できれば気を楽に。
貴方を褒めたというより、事実と、現実から予測できる彼らの認識を述べたまでです」

「……あの」

「はい」

「ちょっと、従魔たちをなだめてきてもかまいませんか……魔王様がいらしてから緊張状態が続いてて、気が立ってるようなんです」

「承知致しました。どうぞ。話ができればくつろいで頂いても問題ありません」

モヤモヤとイライラを蓄積していた従魔たちは刺々しい暗黒オーラを纏っており、明らかにそろそろ限界だった。
レナの緊張の糸もそろそろ限界だった。

レナはぺこりと会釈すると、ベッドに向かう。
オズワルドに「一緒にこっちに来る?」と話しかけてみるが、気だるげな瞬きを返されてしまったので、「ゆっくり歩み寄ってみます」と宰相に告げて、ベッドに向かう。

主人愛がカンストしている先輩従魔たちはぎゅうぎゅうとレナに寄ってきたので、皆を抱えていたルーカとポジションを交代して、レナはもふもふプヨプヨたちを膝に乗せてぎゅーーっと抱きしめた。
絵面がぬいぐるみに埋もれる幼女である。
ルーカはレナの隣に静かに座っている。穏やかにネコミミが揺れていた。

紫の目をチラリと見て、(本当に気を緩めてよさそう?)(あの宰相は咎めないし、心底気にしないよ。言葉通りに受け取っていい)と会話する。
レナは満足げにふあーーっとため息を吐き、腕をさすさすと動かし毛皮を撫で、表情筋を緩めた。
緊張の糸がぶちっと千切れた。

「それではこちらから提案がございます」

宰相は平然と話を続ける。

ネレネが口元にほのかな笑みを浮かべていた。どうやら、レナのリラックスモードがツボに入ったらしい。
部屋もキレイになり、修繕費が約束され、ようやくネレネの雰囲気も和らいでいた。

「オズワルドの育成について、魔物使いに任せようと行動したのは魔王ドグマ様の独断です。
シヴァガン王国政府はこの件について成果が見込めると判断したものの、周辺国への影響を考えると、やめたほうがいいとの結論を出していました。
しかし、従魔契約はすでに結ばれています」

なんだか思っていたよりも大事(おおごと)である。
レナは腕をもふもふに埋もれさせて心を落ち着かせた。

「そこで、議会で仮定で話し合われていた、魔物使いへの報酬について提案いたします。
もし内容が不服であれば、交渉にも応じますので後ほど申し出て下さい。
ーーまず、月々の報酬として100000リルお支払いいたします。
一般人は入れない、国内の特別な施設や、シヴァガン王宮の内部にも申請をすれば入場を許可することができます。もちろん軍事面などは除く、常識的な範囲ではありますが。
それから……シヴァガン王国の”後ろ盾”を、藤堂レナ様にご相談申し上げます」

レナたちが目を丸くして宰相を見る。
シヴァガン王国の国籍を問答無用で与えられる、などの心配もしていたのだが……言葉のニュアンスが少し違っていた。

「後ろ盾……ですか? 詳しいお話をお伺いしても……」

「そのつもりです。
後ろ盾というのは、例えば貴方がたが今後、シヴァガン王国の自治が及ばない地域でなんらかの事件に巻き込まれた場合に、シヴァガン王国が名をあげて助ける……という保証です。
他国の権力者から圧をかけられた際に、シヴァガン王国が味方すると明確に口にしてもいい。
それで防げるトラブルは多いはずです。
ただ、この対価として、政府は”魔物使い藤堂レナが、現魔王の息子の教育係になった”と正式に発表することを望みます。
いかがでしょうか?」

「…………」

レナは眉をしかめて、しばし沈黙して言葉を選んでいる。

「……ご相談してもいいですか?」

「はい。皆様の人生に関わってくる事案ですので、是非偽りのない本心をお聞かせ下さい」

「……ありがとうございます。……オズワルドくんの教育係、という立場に就くことも、公表も、月々の報酬も、辞退させて頂きたいと思います」

宰相がピクリと眉を動かした。
無言でレナを見つめて、話の続きを催促する。

「いざという時に助けて頂けるというご提案、本当に魅力的です。
ご存知のとおり、主人の私は頼りない見た目ですし、従魔たちは希少種の子ばかり。
従魔の[幻覚]スキルで見た目を偽っているとはいえ、これまでも沢山のトラブルに巻き込まれてきました……。
だからこそ、出来るだけ目立たず穏やかに過ごしたいと思っているんです。
私の名前を公表なんてされてしまったら、トラブルから助かる確率は上がりますが、そもそも重大な事件に巻き込まれやすくなりますよね。
以前トラブルになった人たちに特定されてしまうかも。
これまでとは違って、権力者からのアプローチも出てくるでしょう?
主人として全力で従魔たちを守りますが、対応しきれなかった時がとても怖いです……。
魔王ドグマ様にもお伝えしたんですけれど、私は魔物使いとしての活躍、名声を望みません」

「……」

「それに、オズワルドくんは家族のような存在として迎え入れたんです。
彼の従属を、お金をもらって指導をする、というお仕事にするつもりはありません。
これについても、その、魔王様にご承認頂いています」

超絶独自解釈されているのだが。
首を縦にふって「それでよい!」と言われているので、嘘ではない。
宰相にあとで怒られてしまえ。

宰相が自らのこめかみをグリグリと指圧した。頭が痛いのだろう。
ネレネに視線を向けると頷かれたので、ため息をつく代わりに青い瞳を伏せる。
まつ毛が目に影を落として、青色が暗くなる。

「それでは、藤堂レナ様は魔王の息子オズワルドを引き受けた事に対して、シヴァガン王国政府に対価をほとんど望まないと?
優秀ですが、難のある子ですよ。
施設への入場権だけでよい……と解釈して、間違いはございませんか?
他に、ご要求は?」

「う。その、すぐに判断はできなくてですね……とりあえず、先ほどのご提案数件は辞退したくて……。
あと、うちの子を悪く言わないでください」

「貴方の意思は分かりました。
オズワルドについて、少々言葉が過ぎましたことをお詫び申し上げます。それでも、と言って下さって安心できました。
……では、ひとまず賃金と公式の教育係という役職については、棄却と致しましょう。
追加要求については、後日こちらに改めてお伺い致しますので、その際に。
日程はロベルトに申しつけますので、ご検討の程よろしくお願い申し上げます。
他国への公表について、政府の言い分を聞いて頂けますか?」

つまり……またこの宰相がお宿♡に来ると?
魔王よりは話が通じるのだが、気疲れする事には変わりないのでやめて欲しい。

レナは今度こそ思いきりそう表情に出してみたが、これはスルーされた。
大人ってズルイ。

レナがこくりと頷くと、宰相は話し始める。

「シヴァガン王国では、魔王の実子は王位継承権を与えられません。オズワルドを皆が敬称をつけて呼ばないのもそのためです。
王の実子には、王宮での生活、指導のみが約束されます。
王が代替わりした場合は、将来国に属して働くことと引き換えに、王宮での生活を継続することができます。
魔人族の頂点に立つ魔王には、他を圧倒する強さが必要不可欠。
ゆえに、血筋に関係なく、武闘大会で全てが決まります。
これは我が国の伝統ある規則です。
……しかし、魔王の実子が王位継承権を持つと思い込んでいるヒト族たちはいまだに多い。あちらではそういう習わしの国ばかりですから。
実際、魔王の実子は強大な力を持つので、後に武闘大会で優勝して魔王という立場を親から引き継ぐケースがあります。
それゆえ、誤認が一人歩きしがちなのでしょう。
現魔王の息子オズワルドを、国籍を持たないいち魔物使いが従属させていると知られれば、どうなるのか?
おっしゃる通り、貴方がたを身の内に取り込もうとする者がたくさん現れるはずです。おそらくほとんどが私欲にまみれた悪人。
それを”未然に防ぐために”、シヴァガン王国の正式な教育係であると釘を刺しましょう、という提案でした。
なお、我が国の国籍取得については藤堂レナ様の任意とします。
紙の書類にはサインして頂きますが、無国籍のままでもよい。
息子を任せるほど魔王ドグマ様が信頼した人物が裏切ることはないでしょう。私たちも信じます。
我が国側のメリットとして、”魔王の息子専属の教育係”だと声明を発表することで、秘密裏に魔物使いをかくまって戦力増強を企てているわけではない、とアピールする狙いもあります。
これらの要求に対して、貴方がたに納得いただけるよう、政府が用意していたのが先ほどの条件です。
お受け取り頂けませんでしたが……」

……この世界での立場の認識について、レナはまだまだ甘かったのだろう。

国籍を持たない旅人という立ち位置は、自由気ままではあるが、それだけ他者から手を出されやすくなるという事でもあるのだ。
当たり前のことなのだが、生まれながらに日本国籍を持ち、国に守られる恩恵を受けるのが当たり前だったレナには、流浪の旅人、無国籍という状況がいまいちピンときていなかった。

最悪の状況として、誘拐や監禁、殺されたとしても、最近冒険者ギルドで見ないわねぇ、別の街に行ったのかしら……とふんわり処理されてしまう。
しばらく姿が見えないからといって、国軍に捜索されるという事もない。
国はふらりと訪れただけの旅人に対して、そこまでの責任を負わない。
税の支払いなどの対価として、国民個人を助けるのだから。
国政は慈善事業ではないのである。

レナは答えあぐねている。
国籍を持たない不安定さ、という現実をようやく明確に理解し、底知れない恐怖心が言葉を奪った。

部屋に一瞬、痛い沈黙が流れる……。

「……このように考えておりましたが……他にも、提案できる案はあります。
例えば、オズワルドの従属契約を解除すること」

「!?」

宰相の言葉が淡々と室内に響く。
皆が眉を顰めて、ひとまず話に聞き入る。

「貴方の先ほどのお言葉の数々を思うと、これを提案するのは失礼だと思いますが、選択肢としては一番無難です。
オズワルドの魂に従属契約跡は残りますが、そこまで視ることができる人材など、世界にどれだけもいません。それが原因でトラブルになるとまでは考えなくていいでしょう。
全てが”無かったこと”になり、お互いに今まで通りの日常が約束されます」

宰相がゾッとするほど静かな目をレナたちに向ける。

「いいえ……できません……!
まだ心を通わせていないとはいえ、オズワルドくんは私を頼ってくれたのだと、そう感じていますから。
この子は、私の従魔です。頼ってくれたなら、その気持ちに応えてあげたいんです」

レナの口からは、自然に言葉が溢れ出ていた。

自分の発言を耳にしてハッとして、もう心を決めていたのだから……と再度気合いを入れた。
真っ白になっていた脳が急激に働き出し、レナの身体に熱がめぐる。

ぐっ、と拳を握りしめたら、一緒に手伝うよ、と言うように従魔たちの手がぽふんと乗せられた。
これ以上ないほど心強い。

「そうですか……。承知いたしました」

宰相は無表情を貫いているが、声は今までのどの発言よりも柔らかい響きだった。

静かに耳を伏せて展開を視守っていたオズワルドが、ソファから立ち上がる。
床に音もなく飛び降りて、ゆっくりレナの前まで歩くと、黄金の瞳で主人を見上げた。
先輩従魔たちが「うちのご主人に感謝してよねー!」とドヤ顔で黒い後輩を見下ろしている。
和解の予感に、レナはパッと花咲くような笑顔でオズワルドを見つめ返す。

『……ありがと……』

「!」

一言だけの交流だが、レナにとってはとても意味のある歩み寄りだった。

「うん、どういたしまして。私は貴方の主人だからね!」

嬉しそうに返事をする。
大変チョロい。

獣の表情は、ヒト族には判別しにくい。
……しかし、オカン道を極めたレナには、契約解除の話題になった瞬間、オズワルドが何かを怖がり、出会ったばかりの主人に縋ろうとしている……と感じとっていた。

オズワルドはぷいっと顔を逸らすと、尻尾をゆらりゆらりと揺らし、レナたちに背を向けて宰相の元に歩み進める。

途中で、黒い毛皮が淡い青の光をまとい始めた。
皆が瞬きする一瞬の間に、オズワルドはヒト型になる。

「…………!? オ、オズくん、もう魔人族になれるの?」

「両親が魔人族の称号を持つもの同士だった場合、子は生まれながらに魔人族になれる。
アンタ、知らないことが多いな……」

「う、うん!? ごめんね……。今後に期待してて」

「『ご、しゅ、じ、ん、さ、ま!!』」

先輩従魔たちの熱い後輩指導が入った。
そのいち。
主人には敬意を払うべしッ!!

ドスの効いた眼差しがガチである。これを無視したらおそらくオズワルドの身が危なくなる。
『』の数は省略した。

「……主(あるじ)さん。どう?」

「うん、ありがと! それでいいよ、今後もよろしくね!
後でいっぱいお互いのことお話ししようね! オズくんとも仲良くなれたら嬉しいな! よーし、名称決定! やったー!」

従魔たちの仲を取り持とうと、ご主人さまは必死でフォローしている。
レナがかわいそうになったので、先輩従魔たちはぷんぷんしながらもとりあえず気持ちを鎮めた。
レナがホッと息を吐く。
まとめ役は大変だ。

魔人族に変身したオズワルドは、小学校に入りたてくらいの少年の姿。
父親によく似た端正な顔立ちに、青みをおびた艶やかな黒髪と獣耳、尻尾。
少し釣りぎみの瞳はとろける黄金。

まあ、美形である。
見慣れているレナは「ミニマムわんわん大魔王〜! でもオズくんのほうがよほど愛嬌がある〜!」とずれた感想を抱いていた。
さっそくうちの子フィルターを重ねがけしている。

装飾保存ブレスレットを身につけていたため、ヒト型のオズワルドは動きやすそうな服を着用していた。
オズワルドのためにと宝石まみれのブラシを置いていった魔王のことだ、きっとこの服も高級品なのだろう。
一応息子想いらしいのだが、感性が盛大に残念なのでイマイチ息子の心には響いていない。

オズワルドと向かい合った宰相は、ピクリと眉を動かして「ご用件を」と語りかけた。
どこまでも事務的な対応である。

「俺は、魔王の息子という肩書きを捨てて、ただのいち国民となる。
……その場合、どんな条件を提示できる?」

オズワルドが自ら交渉の席に立った。
ドグマとの縁を切る、と言っているように受け取れる。
レナが目を丸くしている。

「……その場合ですと……国の特殊な機関への訪問は許可できなくなります。
あくまで、魔王の息子として在籍している貴方を従えている、という特殊な立場が前提の条件提示だったので。
その代わり、教育係としての公表の必要もなくなります。
政府から、他国へ『魔王の息子は出家した』とだけそっと通達すればよろしい」

「そっか。じゃ、後ろ盾は?
上位淫魔ルルゥから『魔物使いレナには、頼みごと相応以上の厚遇を。あの子は大物になるから、先行投資だと思いなさい。守ってあげて』って言われているはずだろう。
魔王ドグマが愚痴ってた」

「そ う で す ね」

宰相サディスの顔が歪められ「あんちきしょう」と告げている。

今回の一件をまた政府に持ち帰り、阿鼻叫喚の魔王国議会にかけて、それから改めてレナたちに条件を提示するつもりだったのだ。
しかし、手順を踏まず今すぐ何かしらの策を考えなくてはいけなくなった。
レナと淫魔ルルゥの仲を悪くしてしまうのは、お互いにとっても魔王国政府にとってもマイナスである。

魔王ドグマは情報管理がおざなりすぎる。
今後はもっときつくきつくきつく捕縛して教育する必要性がありそうだ。

ぐっ、と手に力が込められている。
奴に殴りかからず口先と蜘蛛糸で対応しているだけ、この宰相は大した精神力である。

「例え出家しても、オズワルドがシヴァガン王国民であることは変わりません。
……それを口実にして、シヴァガン王国が藤堂レナ様と従魔たちの後ろ盾になることを、ここにお約束致しましょう。
かなりの贔屓となりますが、もし政府内部から文句が出たら私が鎮めます。
ええ、そうしましょう。
いかがですか」

「ありがとうございます……!」

いいんですか!? と思わず口走りそうになったレナだが、慌てて言葉を選びなおした。

口頭とはいえ、ネレネもいる場で契約の既成事実を作ってしまえば、簡単には破談にされないはず。

宰相は「報告通り……」と、レナのちょっぴりしたたかな判断を遠回しに褒めた。
ふっ、と軽く息を吐く。

「お礼なら淫魔ルルゥに言って下さい。
彼女は貴方を優秀な魔物使いとして魔王ドグマ様に伝えましたが、見返りとして今回のように後ろ盾をつけてあげたかったのでしょう。
彼女の口添えがあればこその条件提示です。
今後、いざという時には、シヴァガン王国を頼って頂いて構いません。
私個人は貴方がたに入れ込んでおりませんので、誤解しないで頂きたい。
影蜘蛛の一族はただ規則に従って行動しているのみ。
それが誇りなのです。
自分の味方は誰か、見間違えないようにお気をつけ下さいませ」

宰相はツンデレなようだ。

本日の怒涛の会談、総まとめ。

▽レナは 優秀な従魔を テイムした!
▽魔王国政府との深い縁ができた!
▽自由な旅人のままで 魔王国の後ろ盾を 手に入れた!

世間一般から見れば、破格にも程がある素晴らしい成果である。
お宿♡でゴロゴロしていただけで、こんな幸運が舞い込んできたなんてー! すごーい!

なお、真ん中の魔王国政府との縁はレナたちがかなりいらないと思っているものだが、あっても損ではない…………ので喜んでおくとしよう。

施設入場権はちょっと残念だったな、とレナは思った。
異世界に関係した本がないか、資料室を見せてもらえたら……なんて考えていたのだ。
宰相に思考を読まれる。

「今後、政府から貴方がたに指名依頼を出す機会もあるでしょう。
常識的な範囲内で」

魔王国の常識。不安しかない。
レナの顔に「げんなり」と書かれ、スルーされる。

「あらかじめ言っておきますが、世界の危機でもないかぎり、指名依頼の受諾は強制ではありませんよ。
ただし、依頼の際に、各施設や政府管理エリアの解放を報酬としてご提示することができます。
ぜひご検討下さいませ」

「あ、ありがとうございます。
宰相様……私の顔、そんなに分かりやすいですか?
先ほどからよく内心を見抜かれていますけれど」

「藤堂レナ様は表情がとても豊かです。
私は仕事柄、相手の思考をささいな仕草や表情の変化から読み取ることに長けていますので。
相性としてこのようになりました」

「すごいです……」

「恐れ入ります」

カマをかけてみたが、どうやら宰相は魔眼持ちではなさそうだ。
だったら、”異世界”という単語までは拾われていないはず、とレナはこっそり胸を撫で下ろした。
この宰相のことだ、異世界と読み取った場合、笑いとばさず本気で調べにかかられる可能性がある。

レナはにへらとごまかしの笑みを浮かべた。
オズワルドが「やることはやったから」と言わんばかりにまた魔物姿に戻り、ソファで身体を丸める。

猫でもあるまいし、自分を守るように尻尾を抱え込んで小さくなるのには理由があるのだろう……とレナは鋭く観察した。

「それでは、私はこの辺りで失礼致します。
後日、皆様の控えとなる会合内容の承認文書をお持ち致します。
お時間頂戴してしまいますが、何卒ご容赦下さい。
ネレネ・ルージュ、魔王様の追跡に同行を願います」

「……分かりました。それでは、店番は代理人に任せましょう。
スキル[呼び声]いらっしゃい、ララニー」

「はぁい! ネレネお姉様ぁ!」

「あら。廊下で待機していたのね?」

ネレネが声をかけると、コココンッ! と高速で扉がノックされ、かちゃりと数センチ開く。
小柄な若い淫魔サキュバスが姿を現した。
ネレネのお宿♡で職場研修中の新人である。
てきぱき動いてなかなか優秀なのだが、重度のネレネマニアなところがすごく瑕(キズ)。

「出かけてくるからあとはよろしくね」

「お、お気をつけていってらっしゃいませー!
うわあああん……早く帰ってきて下さいね……!
最高のアプルルパイ用意しておきますから」

『じゅるり……』

「従魔ちゃんとレナさんたちも一緒におやつに頂きましょうねっ♡」

「『わーーーい!』」

最近括弧を省略するクセがついてきている。見やすくて良い。

ネレネはちゅっと全員に投げキッスをすると(ララニーが鼻血を噴いて崩れ落ちた)宰相と共に出かけて行った。

このタイミングで、また扉がノックされ、今度は話題のロベルトが現れる。
ひんやりと冷気が部屋に入ってきた。

「ロベルトさんの……! …………大丈夫ですか……?」

出会い頭、軽口で「ロベルトさんのせいでー! バカ〜!」と言おうかと構えたレナだったが、やたらくたびれた様子を見て途中で口をつぐんだ。
魔王国の制服はきっちりシワが伸ばされており、夜勤明けというわけでもなさそうだが……。
彼にしては大層珍しく、取り繕うこともしないほど表情が疲れきっている。

『あーん? よぅよぅ、どうしたんだよ諜報部のエライ人〜』

『よぅよぅ、あんたをそんなにしちまうほどの人物ってーと』

『『や〜〜ん! お察しーー! やだぁーー!』』

『……これから、頑張って、鍛えて……!』

『ん! あの魔王にいつか、蹴り一発食らわせてやろうね!』

漢女たちがかたく握手している。

従魔同士、会話が理解できるようになったオズワルドが驚いて目を見開いて、フェアリーとウサギを眺めた。
魔王の覇気を浴びたというのに、ひるむことなくあの魔王にここまでの発言をする者になど出会ったことがなかった。
大丈夫だ、そのうち慣れる。

『今日も通常運転です〜』

ハマルがとっとこ歩いてソファに飛び乗り、オズワルドに乗っかってむぎゅっと圧し潰す。

『……ちょっと。何だよ!』

『もっふもふにしてやんよー。スキル[快眠]!』

オズワルドがかくん! と首を折った。
必然的にレナにひれ伏すポーズになり、ハマルは満足げである。

『レナ様〜、お納め下さいー!』

<激写で御座います!>

「撮影終わった? じゃあはい、どうぞ」

こっそりスマホ記録が終わった所で、ルーカが寝こけたオズワルドとハマルをソファからレナの膝の上に移す。
良さげなものは何でも主人の元に持って来たがる性質がいかんなく発揮されていた。

レナは金色頭を撫でながら、スライムボディに軽いシャドーボクシングをするリリーとシュシュを半笑いで眺めて、淫魔ララニーに絡まれているロベルトに視線を移す。
きゃあーー! ロベルト様だぁーー! と疲れているところに黄色い声を浴びて、瀕死になっていた。

「お疲れ様です……もしかして喉、乾いてませんか?」

「よくお分かりで……」

レナが助け舟を出すと、ララニーは「紅茶の用意してきまーす!」と走り去って行ってしまう。
ロベルトは絞り出すように「ありがとうございます」と言った。
宰相と似ている。ロベルトも宰相に教育を受けていたのだろうか。
ということは、あの朱髪はとんでもない若作りということに……? どうでもいい。

「もしかして、コレですか?」

レナは指をそろえた手のひらを頭の上に持って来て、ピコピコと動かしてみせた。獣耳のつもりである。

「正解です」

ロベルトも同じ仕草を返す。自前の耳があるだろうに、疲れているな。

「ここに来るまでの道中で、魔王ドグマ様に捕まりまして……。
レナ様たちに息子を預けたからと、愛用の装飾品を届けるように仰せつかりました。
こちらのペンダントです」

ロベルトはオズワルドにペンダントを差し出しかけ、本人が眠っていたため、レナに預けた。
サクランボのような赤ピンクの玉が鎖で繋がれている。

「またオズくんに渡しておきますね」

「ありがとうございます。
命を奪う攻撃を一度身代わりする効果があるそうです」

「分かりました。
ちょっとここでお休みしていきませんか? 紅茶を淹れて下さるそうですし。
ララニーちゃんはこの後お仕事があるみたいですよ」

「……それでは、お言葉に甘えて……」

この後、紅茶を用意したララニーはお宿♡の受付業務になごり惜しげに向かった。
レナたちとロベルトはのんびりとクッキーを食べつつ、しばしの優雅なティータイムを楽しんだ。
お互いに疲労しており、ほっと息を吐く。
ロベルトの獣化指導についてぽつりと発言し、紅茶をむせさせたのはちょっとした腹いせ……イタズラである。

▽Next! オズワルドとお話しよう

 

 

 

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